『平家物語』・・・夏季・公開講座

(%紫点%) H24年夏季・公開講座『平家物語』の報告です。
・日時:9月16日(火)午後1時〜4時半
・場所:大阪府立狭山池博物館 (大阪狭山市)
・演題
『流行歌と芸能から見る平清盛の時代』
講師:小野 恭靖(おの みつやす)先生(大阪教育大学教授)
『平家物語を読む』〜清盛の嫡男重盛〜
講師:四重田 陽美(よえだ はるみ)先生(大阪大谷大学教授)
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*公開講座の参加者*
・参加者数:113名
・男女比:女性57名、男性56名
・年 齢:52歳〜81歳
・地 域:富田林市、河内長野市、大阪狭山市、堺市、河南町、羽曳野市、松原市、橿原市、阪南市、大阪市(住吉区・東住吉区・福島区・港区・阿倍野区)、豊中市、箕面市、西宮市からご来場いただき、厚く御礼申し上げます。(関係者一同)
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(%エンピツ%) 講義の内容 [要約]
○『歌と芸能から見る平清盛の時代』 (小野恭靖先生)
[時代背景]:平安時代末期。この時代は動乱が起こり、また、数多くの大火・地震・竜巻などの自然災害を受けています。社会の混乱は人々を信仰に向かわせました。当時の流行歌謡や芸能からも見ることができます。
[今様(いまよう)]:今様とは「現代的・現代風」という意味であり、日本の歌曲の一形式で、平安時代中期に発生した民衆による流行歌。後白河院が愛好し、「梁塵秘抄」を編纂。
1.【NHK大河ドラマ「平清盛」に挿入された主要流行歌謡】
「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとやうまれけむ 遊ぶ子どもの声聞けば、我が身さへこそ揺るがるれ」 (『梁塵秘抄』巻二・四句神歌・三五九)
⇒神歌(かみうた)は、当時の世俗(風俗)を歌った歌詞で、上の歌詞は童心を歌っています。
・(注):小野先生が今様を当時の歌い方で歌われました。今様は”かなりゆったりとした”歌い方です。〈現在、放映中の「平清盛」で歌われている今様は、現代風にアレンジしたもので、当時の歌い方とはかなり違います。〉
2.【『平家物語』流布本に見られる歌謡と芸能】
・巻一《祇王》−(あらすじ)(清盛の横暴なふるまいの一つ⇒祇王と仏御前の話。白拍子の祇王は清盛の寵愛をうけていた。ところが、新たに推参してきた仏御前の舞を見た清盛は心を移し、祇王を追い出してしまう。その後、祇王は、清盛邸を訪れたとき、自分の思いを今様に託して歌う。
「仏は昔は凡夫なり 我等も終には仏なり いづれも仏性具せる身を へだつるのみこそかなしけれ」
・今様は、状況に応じて変えたり、その場にあわせて創作して歌っています。
3.【『梁塵秘抄』の世界】
・(略説):平安時代後期の流行歌謡であった今様を集大成した歌謡集と口伝集からなる。後白河院の撰。四句神歌(しくのかみうた)、法文歌(ほうもんか)などに分類している。→今様は、ほとんどが仏教に関する内容が多く、法文歌が中心。白拍子や遊女、傀儡子(くぐつ=人形遣い)と呼ばれた芸人達によってつくられ、伝えられた。
「仏は常にいませども 現(うつつ)ならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ」 (『梁塵秘抄』巻二・法文歌・二六)
-(大意)(仏様はいつも私たちのそばにいらっしゃるけれど、現実の世界では見る事はできない。けれど、まだ人が寝静まっている暁の夢の中に、ちらりとお姿をお見せになることがある。⇒仏様は、すぐ手近にありそうなのに、見るとも触る事もできないもの)

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『平家物語を読む』〜清盛の嫡男重盛〜(四重田陽美先生)
・(略説)平重盛(1138〜1179年):父は清盛。小松邸に住み小松殿とよばれた。宗盛・知盛・重衡らの異母兄。
・平清盛:1118年(平忠盛の嫡男として生れる)→1156年(保元の乱)・1159年(平治の乱)→1167年(50歳)(太政大臣)→1168年(出家)→1181年(64歳)逝去
1.【殿下乗合(てんがののリあひ)】
・重盛の次男・資盛(すけもり)(13歳)が引き起こした殿下(てんが・摂政関白のこと)の乗合事件。
・重盛は、怒りに任せて摂政・藤原基房への報復を計画する清盛に諫言、また、事件に加わった侍どもを皆、処罰し、資盛は伊勢の国に謹慎させた。
2.【小教訓(こぎやうくん)】
・藤原成親の助命嘆願…成親(なりちか)は鹿谷事件.の首謀者。重盛夫人は成親の妹。重盛は、“血のつながりで助命を申しているのではありません。世のため、君のため、家のための事を思って申し上げるのです。”と、古今の例を挙げて清盛を説得。成親は死をまぬがれた。
3.【醫師問答(いしもんだふ)】
・重盛は、父清盛の暴政に悩み熊野参詣した。一晩中、神に申し上げた事は、「平家子孫が繁栄するなら、父清盛の悪心を和らげよ、栄華が父一代限りであるならば、重盛の命を縮めよ。」とお祈りなさっていたところ、灯籠の火のようなものが重盛卿のお身体から出て、ぱっと消えるようになくなってしまった。
・重盛は、病床に臥した。治療も加持祈祷もなさらない。その頃、宋の国からすぐれた名医が渡ってきているので、治療を父が勧めたが、“重盛程度の凡人が、外国の医師を、都に入れるのは、国の恥辱である」と、とうとう治療しなかった。父清盛は、“これほどに国家の恥辱を案ずる大臣は、古来いまだに聞いた事がない。きっと今度死ぬにちがいない”と、泣く泣く急いで最後のお見舞いに福原の別荘から都へ上る。

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ボランティアガイドによる博物館見学
・当日、午前11時から約1時間、ボランティア(3名)による博物館の展示解説。約20名が3班にわかれて参加しました。(右の写真)…ボランティアガイドの栗原さん、松岡さん、、山瀬さん、ありがとうございました。

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*アンケートより(感想) (抜粋)
・とても楽しくきかせてもらいました。(女性、60代)
・タイミングよく、大河ドラマとの対比で、今様の実態などの話が聞けて楽しかった。(女性 70代)
・両先生とも、非常に興味深い話を聞かせて頂いて、ありがとうございます。(男性 70代)
・わかりやすくて良かったです。楽しかったわ。(女性 60代)
・どちらも平家の話なので、大変興味深く拝聴しました。判り易いお話でした。(女性 60代)
・小野先生、四重田先生の熱心なお話を楽しく聞きました。学生時代に聞いておれば、古文の時間は楽しかったと思います。(女性 60代)
・講演もそれぞれ特長が出て、今話題の平家が取り上げられて良かったです。(男性 70代)