『須磨の古跡を訪ねる』

(%赤点%)“文化塾ウォーキング”(H24年・第6回)の報告です。
『源平ゆかりの須磨を訪ねる』(平家物語その2)
・日時:10月26日(金)午前10時半〜午後3時半
・集合場所・時間:山陽電鉄「須磨浦公園駅」10時20分
・解散場所・時間:山陽電鉄「須磨寺駅」15時30分
・【コース】:山陽須磨浦公園駅−敦盛塚−史跡「戦いの浜」−安徳宮−現光寺−須磨寺−須磨離宮公園−村上帝社−平重衡とらわれの松−山陽須磨寺駅 (約7km)
・参加者:29名(女性19名、男性10名)
・スタッフ:佐藤リーダ、房田、置田、常本
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*(平家物語その1)…3月16日(金)「平清盛と後白河法皇ゆかりの東山散策」(参加者30名)

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(%エンピツ%) 「敦盛塚」(あつもりづか)
・平敦盛を供養するために建てられたという大きな五輪の塔(塚は4mの花崗岩製で中世のものでは岩清水八幡の五輪塔に次ぐ全国2位の大きさ)。
・敦盛は、清盛の弟・経盛(つねもり)の子で、一の谷の合戦で源氏の武将熊谷直実に討たれ16歳で命をおとした。
・一説には、北条貞時が平家一門を供養するために建立し、「あつめ塚」といわれていたのが「あつもり塚」と呼ばれるようになったともいわれている。

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(%エンピツ%) 「安徳宮」
・安徳天皇は、父・高倉天皇、母・建礼門院徳子(清盛の娘)の子として生まれた。(歴代天皇で最年少2歳で即位)
・壇の浦の戦いで平家滅亡とともに祖母二位尼に抱かれて海に身を投じた悲劇の幼帝である。(7歳で生涯を終える)
・ここは、内裏跡と伝えられ、この地に安徳天皇の冥福を祈って安徳宮が祀られている。

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(%エンピツ%) 「須磨寺」
・真言宗須磨寺派大本山。正式名は上野山福祥寺(ふくしょうじ)。通称は「須磨のお大師さん」
・境内には、平敦盛遺愛の「青葉の笛」や「弁慶の鐘」、さらに敦盛首塚や義経腰掛の松など、多数の重宝や史跡があり、源平ゆかりの寺として知られている。
・古来より、源平を偲んで訪れる文人も多く、境内には、句碑・歌碑・文学碑などがある。
☆「須磨寺や ふかぬ笛きく 木下闇」(松尾芭蕉)
☆「笛の音に 波もよりくる 須磨の秋」(与謝蕪村)
☆「暁や 白帆過ぎ行く 蚊帳の外」(正岡子規)
☆「こんな良い月をひとりで見て寝る」(尾崎放哉)
☆「すまでらの むかしを問えば 山桜 よしやねむ すまのうらわの なみまくら」(良寛)

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(%エンピツ%) 「須磨離宮公園」
・ヨーロッパ風の庭園、バラ園、植物園などを配した海の見える広大な公園で、噴水広場にある建物は、ベルサイユ宮殿を思わせるたたずまいである。
・昭和33年に皇太子殿下(今上天皇)ご成婚記念事業として整備が始まり、昭和42年(1967年)近代的な欧風庭園として開設された。
・ちょうどバラの開花時期で、しばしの間、欧風庭園を楽しみました。