『三輪山の神話と古代史』〜箸墓型三輪山神婚譚〜

(%緑点%) 後期講座(歴史コース)の第8回講義の報告です。
・日時:11月13日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:「三輪山の神話と古代史」〜神の姿をみたために箸で死亡した女と墓の物語〜
・講師:平林 章仁先生(龍谷大学教授)
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(%エンピツ%) 講義の内容
復習
・「三輪山の神話と古代史」は、4回シリーズの講義です。(今日の講義は、第3回です。)
(1)わが国で神社を3つあげるとすれば・・・
①伊勢神宮【天照大神−太陽・女神】
②杵築大神〈出雲大社〉【大己貴神−男神】
③大神大物主神社(大神神社・三輪神社【大物主神−男神】
(2)三輪山(大物主)神婚譚
・神様と女性が結ばれる伝承で、『古事記』、『日本書紀』に伝えられる
・大神(おおみわ)神社は、大物主神を祭り、拝殿はあるが本殿はなく、三輪山を御神体としている。この大神神社の西北には初期大和王権の王宮跡と目される纏向遺跡が広がり、その一廓には最古の巨大前方後円墳である箸墓古墳がある。
[第1回 「苧環(おだまき)型神婚譚」 (H23年3月22日の講義)
・大物主神の祟りで疾病が流行したものの、河内の美努(みの)村(堺市)のオオタタネコを神主として祭らせたら終息したという記事に続く、オオタタネコが三輪山の神の子である出自譚かつ美和(三輪)の地名起源譚。
・麻糸で結ばれた神と女の物語…夜毎に女(イクタマヨリヒメ)のもとを訪ねる男の正体を知るため、彼の衣の裾に麻糸を縫い付けた。翌朝、その麻糸を辿っていくと、鉤穴より出でて、三輪(美和)山に至っていた。(イクタマヨリヒメは陶邑の首長の女(むすめ))
[第2回 「丹塗矢(にぬりや)型神婚譚」 (H23年9月13日の講義)
・三輪山の大物主神が丹塗矢に化し、溝を流れて用便中のセヤタタラヒメに近づき、のちに美男子に姿を変えて、ヒメと結ばれた話。
・初代天皇神武の大后(ホトタタライススキヒメ)は、摂津の三島溝咋(みぞくい)の女セヤタタラヒメと大物主神の神婚で生れた神の御子である。

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○今日の講義は、第3回 「箸墓型神婚譚」
1.『日本書紀』崇神天皇十年条の箸墓型三輪山神婚譚 (右の資料を参照)
「是の後に、ヤマトトトビモモソヒメ、大物主神の妻(みめ)と為る。然れども其の神常に昼は見えずして、夜のみ来す。ヤマトトトビモモソヒメ、夫(せな)に語りて曰はく、“昼は見えたまはねば、分明(あきらか)に其の尊顔(みかお)を視ることを得ず。暫し留まりたまへ。明旦(くるつあした)、仰ぎて美麗(うるわ)しき威儀(すがた)観たてまつらむ。”…明くるを待ちて櫛笥(くしげ)を見れば、まことに美麗しき小蛇(こおろち)有り。…則し驚きて叫ぶ。時に大神恥じて、忽ちに人の形と化(な)りたふ。…“汝、忍びずして吾に羞(はじみ)せつ。”とのたまふ。よりて大虚(おおそら)をほみて、御諸山(みむろやま=三輪山)に登ります。…ここにヤマトトトビヒメ仰ぎ見て、悔いて急居(つきう)。則ち箸に陰(ほと)を撞(つ)きて薨(かむさ)りまつる。大市に葬りまつる。時人(ときのひと)、その墓を号(なづ)けて、箸墓と謂ふ。是の墓は、日(ひる)は人作り、夜は神作る。故、大坂山の石を運びて造る。・・」
物語の大筋…三輪山(御諸山)の大物主神とヤマトトトビモモソヒメの神人婚姻であるが、”見るなの禁忌”を破り、巫女の呪具で神霊の容器でもあった櫛笥に入った蛇身の神を見たため、神婚は女の死で終わり、結末は箸墓の起源譚になっている。
・この箸墓は現在の箸墓古墳であろうが、同古墳の吹き石の一部に大坂府柏原市付近に産出する石が用いられていて、大坂山の石を運んだという物語がまったくの創作でないことがわかる

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2.ヤマトトトビモモソヒメの死の真相と箸の実像
(1)ヤマトトトビモモソヒメの死の真相
・諸説あり
・守屋俊彦氏の説「ヤマトトトビモモソヒメの死とは、大物主神との神婚が成就して彼女が神のものになったことの神話的表現であり、彼女が神界の存在に移行し俗界との交渉が不可能になったことにおいて死とみなされた。恐らく、ヤマトトトビモモソヒメが大物主神の妻となり、箸と化したその神と交わった時点で死亡したと観念されたのであろう」[平林章仁著「三輪山の古代史」(白水社)より]
(2)箸の実像
・箸=籌木(ちゅうぎ)…食器の箸ではなく、用便時に使う箸(すなわち籌木)である。
・ハシは「間人」(はしひと)などと用いられる間のこと。

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3.厠での秘事は姫事
『古事記』応神天皇段の伊豆志袁登売神の物語(右の史料②)
・但馬国の伊豆志(いずし)大神の女のイヅシヲトメを、兄(シタビヲトコ)と弟(カスミヲトコ)が争う物語
・「藤花で飾られた藤衣をきたカスミヲトコが藤の弓矢をイヅシヲトメのにかけたところ、彼女は不思議に思って屋内に持って入った。その後について入ったカスミヲトコは、忽ちイヅシオトメと交合して一子をもうけた」という。
『尾張風土記』(逸文)の宮酢媛命の物語(右の史料③)
・草薙剣に寄りついた神とミヤズヒメの、傍らに桑のあるでの神婚伝承

厠は神婚儀礼の場所でもあった
厠での秘事は、箸=籌木・丹塗矢・藤の矢・霊剣などを用いた姫事であった
(注)現在の厠(かわや)のイメージを払拭して観ないといけない。神殿や儀礼の場が常設されず、神の去来に応じて、祭事の毎に仮設建物を設けるが一般であった。(居住用以外の常設建物が臨時的に祭儀の場に代用されることも少なくなったと推考)

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○まとめ
・古代の神話伝承が、歴史的事実を述べたものではないが、背景には人々の神々への信仰やそれと結びついた祭礼、儀礼が存在した。
*箸墓型神婚譚では、神婚が女の死でおわり、墓のことを結末としている。
「被葬者のヤマトトトビモモソヒメは、未来を予知できる偉大な巫女であるとともに、大物主神の妻であった。箸墓は、昼は人が作り、夜は神が作ったとあることから、神と人の間を橋渡し(神託)を行っていた偉大な巫女王の墓であった。」
*「厠は、引き込んだ河水や溝の上につくられた古式水洗便所であるとともに、神婚儀礼の行われた場所でもあった。」
神は長細いもの(蛇・丹塗矢・箸・剣)に変化して、去来するもの。(祭事の時に来てもらう)。
日(ひる)は人の時空、夜は神の時空⇒夜に神婚儀礼が行われる
「神は姿は見えない。神婚の儀礼が演じられるのは夜。ゆらゆらと炎がゆらめく厠に神がやってきて、所作を演じる。神が化した箸・丹塗矢・剣とまじわって・・・と演じていたのではないだろうか」⇔そして、みんな、神がやってきた(神が寄りついた)と信じていたと思われます。