『天誅組の道を辿る③』〜三日市宿・油屋から観心寺まで〜

(%青点%) 「南河内ウォーク」の第3回報告です。
『天誅組の道を辿る③』〜三日市宿・油屋から観心寺まで〜
・日時:12月2日(日)午後1時〜午後4時半
・集合場所:南海高野線「三日市町駅」西側出口広場 午後1時
・解散場所:観心寺 午後4時半
・【コース】:三日市駅−三日市の宿場−三日市の油屋(天誅組史蹟)−月輪寺—旧三日市交番−楠公通学橋−笠松稲荷−松中亭−観心寺(建築、仏像、霊宝館、楠公首塚、七星塚、天誅組の石碑、天誅組関係者の墓、後村上天皇陵など) (約6km)
・参加者:20名(男性17名、女性3名)
・講師:松本 弘氏(前神戸薬科大学非常勤講師、河内長野市郷土研究会副会長)
・スタッフ:松本(サヨ子)、田中、山本、置田、常本
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*右上の写真は、観心寺・「恩賜講堂」前の広場で、落葉(紅葉・黄葉)の絨毯に覆われています。
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(%エンピツ%) 「三日市町駅」 (みつかいちまちえき)
*右の写真は、「三日市町駅」西側広場で、松本講師のガイダンスを聞いているところです。今日の資料は、(B4版で16枚)です。

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(%エンピツ%) 「三日市の油屋」 (天誅組史蹟)
《天誅組、水郡邸から三日市(油屋)に入る》
・文久三年(1863)8月14日【天誅組挙兵。京都・東山の方広寺に集合。中山忠光以下39名】→その夜のうちに大阪に入り、15日船で堺に到着。翌16日払暁に高野街道を通って、河内をめざし狭山・報恩寺に入る。→午後、向田村(富田林市甲田)水郡(にごり)邸に入る。→水郡邸を出て、三日市村に入り、17日・午前三時頃油屋旅館に着いた。ここで、休息する。→同日、午前六時過ぎに出発し一路観心寺へ進んだ。

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(%エンピツ%)「観心寺」 (かんしんじ) 「金堂」
・南河内きっての名刹。役小角(えんのおづぬ)が開き、弘法大師の弟子・実恵(じちえ)が創立。国家安康と厄除の祈願寺として、また高野山と奈良・京都の中宿として発展する。本尊は、如意輪観世音菩薩(国宝。秘仏で、毎年4月17日、18日の2日間のみ開扉)。
・国宝の金堂、楠公建掛塔、楠木正成首塚、97代・後村上天皇陵、霊宝館、七星塚など見どころがいっぱいで、紅葉が素晴らしい。

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(%エンピツ%) 「天誅組遺跡碑」(観心寺楠公首塚前にある)
「文久三年八月中山忠光卿を盟主として、皇軍の先鋒として甲田水郡邸を出発し、長野三日市を経て観心寺の後村上天皇陵を拝し、大楠公首塚の前で血盟を誓い、千早峠を越えて大和に入り、討幕の第一声を挙げた。・・・」。→ 大和五條に入る前に、楠木正成の墓前に詣でたという石碑が、楠公首塚の前に建っている。