『古文書からみた織田信長』

(%緑点%) 後期講座(歴史コース)(9月〜1月:全14講義)の第14回講義の報告です。
・日時:1月29日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:古文書からみた「織田信長」
・講師:天野 忠幸先生(関西大学非常勤講師)
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(%エンピツ%) 講義の内容
『古文書』は文字で記された歴史情報です。今日のテーマである「織田信長」は.、いかなる文書を認(したた)めていたのでしょうか。
講義では、8つの書状を取り上げられましたが、ここでは、下記の2つの書状を紹介します。

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1.信長の自筆書状 [「永青文庫」細川家文書]
・右の上部の書状が、唯一、信長の自筆であると証明されている書状です。
折紙を披(ひら)いて見た。いよいよすばらしい働きである。油断せずに尽力せよ
十月二日 与一郎殿
(内容)(細川与一郎忠興(15歳の若武者)が松永久秀の城を攻めて、一番乗りの戦功を、信長が褒めている書状です。)
(注)この書状で、信長は無署名です。(エライ人は無署名が多い)。…しかし、この書状には、堀秀政の花押付の副状(右上・写真の下部の書状)がついており、そこに信長の「御自筆」である旨が記され、内容を含めて、信長の自筆である事が認められている。

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2.信長と足利義昭の関係 [足利義昭・織田信長条書(お茶の水図書館蔵)]
・信長は、足利義昭と対立…将軍を傀儡にして天下をにぎろうとする信長と、政治的野心が強く、画策する義昭との関係が険悪化。
・右の書状は、信長と義昭の「和解の条書」です。
(内容)
「一、義昭が御内書を出す時には信長の副状を付ける。一、今までの義昭の下知(げち・命令)は無効である。一、忠節を尽くした者には、信長の所領から褒美を与える。一、天下の成敗は信長に任せる。一、義昭は、朝廷に忠勤を励むように。」 永禄十三年廿三日 
(注)信長は、この条書で義昭を封じ込めた。→しかし、この条書は、ルールにのっとり、印章の位置は、義昭がもっとも上位の位置にあり、条文も敬意をはらって、字を何箇所も空白にしています。

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3.古文書あれこれ
○右は、信長の花押です。麒麟(キリン)の「麟」の字の草書体から作られた形です。(麒麟は、中国の想像上の動物で、和平一統の時のみ、はじめて現れるという。)また、信長の印章は、「天下布武」です。
《古文書について一口メモ》
・文書の形(折紙、切紙など)、文字の字配り、花押(かおう)や印章の場所、相手に対する敬意を表す方法(改行したり、字を空ける)など、古文書のルールがあります。
*殿様身分(エライ人)は、基本的に花押あるいは印章を捺すだけで、書状は右筆(ゆうひつ:主人の発給する書状を代筆する役人)に任せます。
* 闕字(けつじ) …地位の上下関係については、「諸国へ以( )御内書」、「被( )仰付」(おおせつけられ)というように、敬意を表したい言葉の上に、わざと字を空ける。
*条の数は、奇数にする。(信長・義昭条書は、五ヵ条)
*折紙(おりがみ)は、紙の真ん中を折って、折り目を下にし、右から書き上げていく文書形体で、書ききれないときには折り目を下にしたまま裏返しして書く。広げたときには文字は折り目を中心に逆方向に書かれていることになる。
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(%緑点%) 平成24年度後期講座(歴史コース)(9月〜1月:全14講義)は、1月29日で終了しました。
講師の先生並びに受講生・聴講生の皆様に厚く御礼申し上げます。

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