『三輪山の神話と古代史』〜蜂に捕まった三輪山の神の物語〜

(%緑点%) 前期講座(歴史コース)の第2回講義の報告です。
・日時:3月19日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:『三輪山の神話と古代史』(4)〜蜂に捕まった三輪山の神の物語〜
・講師:平林 章仁(ひらばやし あきひと)先生 (龍谷大学教授)
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(%エンピツ%) 講義の内容
○『三輪山の神話と古代史』は、4回シリーズの講義で、今日が最終回です。
・ヤマト(=山のあるところ=纏向に住む人が山といえば三輪山=三輪山のふもと)は、国家発祥の地で、纏向遺跡は、ヤマト王権の中心地。
・三輪山は神が宿る山。ヤマト王権が祭ったのが「大物主神」。(物)=目に見えないもの(霊的威力)。大物主神が宿るのが三輪山。
・「祟(たた)る」←人々の社会の問題を“祟る”と表現して、神を祭る。(祭礼・儀礼)
・当時の人は、神にも男女の別があるとした。…大物主神は男性
・三輪山神婚譚:「苧環型」、「丹塗矢型」、「箸墓型」

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1.捕まった三輪山の神 [『日本書紀』雄略天皇六年三月から七年七月条](右の資料①を参照)
○(物語の前半)「皇后の養蚕に必要な蚕を集めて来るように命じられた蜾羸(スガル)(人の名)が間違って嬰児を集めてきた。…天皇は、彼に嬰児を養育させ、小子部連(ちひさこべのむらじ)を賜姓したという。」→小子部連の氏姓と職掌の起源譚。
★(雄略記の真中に、あまり意味のありそうにない一条の記事) 「夏四月に、呉国、使を遣して貢献る。」→この記事を入れたのは、小子部連氏の祖先譚と呉国(中国南朝・5世紀頃)使節の渡来が関係あることを意味する。
○(物語の後半)「天皇の命令で蜾羸が三輪山の神である大蛇を捉えて見せたが、天皇は斎戒していなかった(神に会う時は斎戒しなといけない)。大蛇は目をらんらんと光らせたので、恐ろしさのあまり天皇は見ないで殿中に退去した。大蛇を、もとの山に放たせ、蜾羸には(いかつち)の名を与えたという。→小子部連の祖先の功績と雷の名の由来

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2.蚕・小子・小子部連
(1)[『新撰姓氏録』左京皇別上条の小子部宿禰宜の所伝] (右の資料③を参照)
・蜾羸(スガル)が蚕を誤って嬰児を集め、その嬰児を宮殿近くで養育したので、蜾羸に小子部連を賜姓というのは、『新撰姓氏録』左京皇別上条にも、類似の所伝が見える。
(2)『新撰姓氏録』山城国諸蕃条の秦氏の所伝に登場する小子部(右の資料④を参照)
・「雄略天皇は、…小子部雷(ちひさこべのいかつち)を遣わし、隼人を率いて、バラバラになっていた秦氏をひとつに集めた。・・・秦公酒が秦の民を率いて、多量の絹を織成・貢進(丘のように積み上げた)。→秦氏の祖先譚かつ太秦(うづまさ)の起源譚。
小子部連雷(蜾羸)の事績が秦氏の氏族伝承に語られていることは、ある時期に両氏が親密な関係にあったことを示唆する。
(注)『新撰姓氏録』…平安時代初期の815年(弘仁六年)に、嵯峨天皇の命により編纂された、京及び畿内に住む1182氏族の氏名(うじな)の由来、分岐の様子を記述したもの。

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3.蜾羸(スガル)の正体
(1)蜾羸は、昆虫のジガバチのことである。
①中国最古の詩歌集『詩経』に、「螟蛉有子 蜾羸負之」(めいれいに子があれば、スガルこれをおう)。螟蛉は、桑虫(蚕)のことで、ジガバチは桑虫などの幼虫を集めて巣に貯える習性があり、なかにはその幼虫に自分の卵を産みつけるものもあるという。→つまり、他氏の小子を集め管理する小子部連氏の職掌が、蜾羸(ジガバチ)の習性に酷似していることによる命名である。
(2)昆虫の蜾羸(ジガバチ)は、桑虫=蚕を集めて養い、人間の蜾羸(スガル)は、蚕を誤って他人の子供を集め養ったのである
(3)蜾羸(スガル)の物語の背景
・中国の蚕織文化の中で育まれた桑林での雷神信仰・神婚儀。
・避雷の呪言「桑原桑原(くわばらくわばら)」⇒桑の下で雷神を捕らえる物語は中国に発する。
・中国古代の皇后は、三月に仕事始めの儀礼として養蚕をし、得られた生糸は祭祀用とされた。

*参考文献:『三輪山の古代史』(著者:平林章仁)(白水社 2000年)