『法隆寺 伝 百済観音像』 −法隆寺のみほとけと宇宙−

(%緑点%) 前期講座(歴史コース)の第3回講義の報告です。
・日時:3月26日(火)am10時〜12時10分
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:法隆寺 伝百済観音像−法隆寺のみほとけと宇宙−
・講師:山岸 公基(やまぎし こうき)先生(奈良教育大学教授)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(%エンピツ%) 講義の内容
○観音菩薩立像(伝百済観音像。法隆寺・百済観音堂安置)
・木造(樟)、乾漆盛上、彩色、像高210.9m、飛鳥時代後期(7世紀中葉)、国宝
・「下半身が長く、若竹が立ちあがる美しさ」、「人が見上げる大きさが、美しさを増す」、「光背があることにより、より長身に見える」、「正面から、横からみても美しい」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○みほとけと宇宙観
1.須弥山(しゅみせん)
・古代インドの宇宙観の中で我々の小宇宙、娑婆世界の中央にそびえる山で、日本には仏教の伝来にともなってその観念が伝播した。
・『倶舎論』(くしゃろん)によれば、須弥山は風輪、水輪、金輪の上面、四大海の中央に位置し、高さは八万由旬、娑婆世界最高の高山。我々人間は南部の贍部州(ぜんぶしゅう)に住み、須弥山中腹には四天王天、山頂には忉利天(とうりてん)があり、帝釈天をはじめとする神々が住む。
・(注)由旬(ゆじゅん):古代インドで、里程(みちのり)の単位。いろいろな説がある。今日の講義では、八万由旬=約160万km。
2.釈迦如来
・釈迦(釈尊、ブッダ(仏))は、紀元前6〜5世紀のインド北部に実在。如来真理を覚り体現する者の意。
・法隆寺金堂釈迦三尊像中尊は、須弥山上に位置づく釈迦如来を表現している。
3.弥勒菩薩
・おそらくは実在した釈迦の弟子マイトレーヤを原型とする。マイトレーヤは兜率天(忉利天の二層上の天)に再生して神々に説法し、時期が来れば人間世界に下生して成仏して衆生に悟りを導く−(釈迦の入滅から56億7千万年後に如来となって人々を救済する弥勒菩薩)(釈迦を継ぐ未来仏)
・兜率天での姿を表現する際には菩薩自ら覚りを求める者)。
・法隆寺献納宝物159号菩薩半跏像(東京国立博物館保管)は、須弥山の上空、兜率天に位置づく弥勒菩薩を表現している。
4.観音菩薩
・一般に「観音さま」と親しまれている観音菩薩は、現世的な利益を与えてくれる菩薩で、衆生が苦悩を受けた際、一心に観音の名を称えると、観音はただちにその「音声を観じて」皆解脱することができると説かれ、万能の救済神として信仰を集める。(『法華経』普門品)→法隆寺夢殿の観音菩薩立像(救世観音)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5.百済観音像
【 浄土教『観無量寿経』十三観のうち第十 観音観]と百済観音像の関連】…百済観音像は「浄土教」の影響をうけて作られた。
この菩薩は、身の長、八十万億那他由旬なり
・百済観音像の光背支柱は、しっかりと節のある竹をかたちどった木製で、根元には”山岳文(須弥山)”の装飾がある。→像の大きさを目に見える形にした。(須弥山を極小化して)、かなり背が高いことを表現している。

もし、観世音菩薩を観んと欲する者あらば、まず、頂上の肉髻(にっけい)を観、ついで天冠を観よ
その天冠の中に、一の立てる化仏あり
・百済観音像の宝冠に化仏(けぶつ−小型の仏像)がある。(宝冠に化仏があるのは観音像)

この宝手をもって、衆生を接引したもう
・救いを求める人々に差し出す右手。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
*あとがき*
百済観音像の謎
・法隆寺の古い記録には当たるものが見えないことや、作風の違いなどから、後世、他の寺院から法隆寺に移されたものと思われる。また、近世まで、法隆寺では、この像を“観音”ではなく、虚空蔵(こくぞう)菩薩と呼んでいた。
・「百済観音」は20世紀以降の名称(しかし、名称の由来は不明)。本像は朝鮮三国時代の百済とは無関係に近い(朝鮮半島では仏像の用材につかわれていないクスノキの一木造り)。→日本で作られた像であると見られている。作者は不明。
仏教宇宙像のインパクト
・百済観音像は、中国・隋の時代の「浄土教」の影響を受けた画期的な作例
・推古16年(608)に遣隋使で派遣された慧隠(えおん)(隋と唐に30年近く留学)は、日本浄土教の先駆的な存在。日本への本格的伝来当初は、仏教宇宙像を拡大する思想として、大きなインパクトを持ったことが推測される。
・(注)【浄土教−来世、阿弥陀(無量寿)如来の安楽世界(極楽浄土)に往生することを主目的とみなす仏教】。