第40回 千里コラボ大学校を10月12日(土)に開催致しました。
「八重の桜と四郎の酒」と題して、水島勝寿さんに講演して
頂きました。
・講演会の冒頭を飾る音楽演奏は、今回初登場して頂きました
中住志津枝さんのメゾソプラノ独唱による歌曲2曲を、加福共之
さんの曲目紹介、川上 時子さんのピアノ伴奏でお楽しみ頂きま
した。会場に拡がる声量豊かな歌声に、耳にする機会の少ない
歌曲を、受講者の皆さまは聞き惚れておられました。
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・講演はNHK大河ドラマ「八重の桜」放送期間中に時節を得て、
「八重の桜と四郎の酒」と題して、水島勝寿さんにお話して頂き
ました。水島さんの祖父は会津鶴ケ城の落城時4歳だったそう
です。曾祖父は130石取りの武士で、その邸は山本八重さんの
西隣にありました。そんな血を引く水島さんは会津藩士末裔を
名乗り、京都会津会幹事をされておられます。
・会津藩の成立は徳川2代将軍徳川秀忠と侍女との間に生ま
れた男の子が、成人後保科正之と名乗り、3代将軍徳川家光
によって、会津藩28万石の藩主に抜擢される。これに感激した
正之は「藩主よりも徳川宗家に忠勤を尽くせ」という家訓を残し
ます。これが200余年後に会津藩に悲劇をもたらした、と語られ
ました。
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・ペリーの来航によりやむを得ず開国した幕府と、外国人を嫌悪
する朝廷・長州藩等の尊攘浪士等との間で激し紛争が続く。この
京都の無政府状態を収拾し治安を回復させるために、徳川慶喜
や松平春嶽の執拗な説得で、藩主・松平容保は京都守護職を
引き受けることになる。
・その後、生麦事件による薩英戦争、京都での会津・薩摩による
長州の撃退、2次にわたる長州征伐と英国による長州応援に
よる長州藩の復活、孝明天皇の死と大政奉還等の歴史を時系
列に分かり易く説明して頂きました。歴史は勝者の作るもの、
敗者側から見た維新を語って頂き、激動の時代を理解すること
が出来ました。
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・会津藩28万石は斗南藩(現在の下北半島)3万石に移住するが、
この地は全くの不毛地帯で17,000名余りの人々は飢死寸前で
困窮を極めたものであった。この様な状況の中でも、北前船によ
るニシン・昆布の売買や北海道・新冠での野生馬の飼育等で
生きる道を求めたものであった、と語って頂きました。
・後半は第6代大阪市長「池上四郎」のお話をして頂きました。
「八重の桜」で放映されたシーン、鶴ヶ城籠城戦で山本八重が
鉄砲で奮戦する傍らで、敵に余裕を示し味方を鼓舞するため
凧揚げをした少年が、池上その人である。彼は14歳の時に
単身徒歩で東京に向かう。そこで一等巡査に採用され、その後
昇進を重ねて43歳の時に大阪府警部長に栄転し、56歳で第6代
大阪市長に就任する。
・当時の大阪市政は大混乱時代で難問山積であったが、助役に
東京高商教授「関一」を迎えて、難問題を解決していった。天王寺
公園にある池上四郎の銅像を大阪市民は知らないのは残念なこ
とだ、とも話されました。
・幕藩体制から明治への激動の時代に生きた夫々の立場の人々
に魂を吹き込み、血の通った人々として蘇らせて語って頂き、ま
た会津と大阪との深い結びつきもお話して頂きました。その口調は
明快な講談調でありながら、随所にユーモアが覗くもので、受講者
の皆さんは大変満足されたここと思われます。多くのご準備を頂き、
示唆に富み楽しいご講演有難うございました。
・最後に千里図書館司書・石田ひろさんによる関連図書の紹介を
して頂きました。多くの書籍を集めて頂き、その内容を紹介して
頂きました。
(原田)
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