第44回 千里コラボ大学校を2月8日(土)に開催致しました。
今月は「倭人も太平洋を渡った 魏志倭人伝に描かれた南米の
倭国」と題して、大下隆司さんにご講演頂きました。
・当校のオープニングは恒例の音楽演奏です。今月は「倭人」に
関する講演であり、それに相応しい現代音楽の2人の作曲家、
林光作曲「ゆうぐれ」と、中田喜直作曲「山のこども」の2曲を、
川上時子さんの曲目紹介とピアノ演奏でお楽しみ頂きました。
・講演は「倭人も太平洋を渡った 魏志倭人伝に描かれた南米の
倭国」と題して、大下隆司さんにお話して頂きました。
・大下さんは曽根の『原田しろあと館』で、『とよなか歴史と文化
の会』のボランティアとして活躍されておられます。歴史学者の
古田武彦氏が企画した南米ツアーに通訳として参加され、古代
史に興味をもたれたことが、今回の講演のベースとなっている
ことの紹介がありました。
・最初に魏志倭人伝等に記されている倭国について話されました。
3世紀後半の中国の歴史書、あの有名な卑弥呼が登場する魏志
倭人伝には邪馬台国だけでなく、多くの倭人の国名が記載されて
います。その最後のところが「倭国の東南の方向、船行一年にし
て裸国・黒歯国に至る」です。日本の東南の方向、黒潮の行き着く
先は南米のエクアドル・ペルーの沿岸です。また4世紀後半の後
漢書・倭伝には「倭国王が南米のことを光武帝に報告したために
『漢倭奴国』」の金印を与えたと記されていることもお話されました。
・次に日本の縄文・弥生の頃の同じ文様の土器が、エクアドル・
コロンビアで発見されたとのお話です。中南米の古代文明といえ
ば、マヤ・インカ等が思い浮びますが、それ以前の6千年程前には
エクアドルの太平洋岸に縄文文様をもった高度な土器文明が出現
し2千年程続いています。彼らは優れたた航海術をもち北はメキシ
コ、南はペルー・チリ地区との交易を行っていたとのことです。
1960年、エクアドルのバルディビアで出土した土器は、①縄文前
期の九州の土器と同じ文様をもっていること。②類似した製作技術
で作られていること。③それを伝える黒潮という交通手段があること、
④それ迄アメリカ大陸には高度な土器文化が存在しなかったことか
ら、「縄文土器の南米への伝播・古代の太平洋における文化の
交流」があったと言われています。
・紀元前5世紀頃から紀元5世紀頃にかけて、エクアドルの北部
海岸ラ・トリタ地区からコロンビア南部の太平洋岸にかけて黄金
文化が栄えました。丁度魏志倭人伝の時代です。ここでは弥生
時代に北九州で大量に作られていた埋葬用の大型甕(甕棺)と
同じ形をした甕が同じ埋葬に使われていました。高さは何れも
1.5m程です。
・古代の倭人はどのようにして南米エクアドルまで航海したので
しょうか。倭国を出発、黒潮続流で太平洋を東北に進み、続いて
北太平洋海流にてサンフランシスコ沖合へ、そこから南北アメリカ
大陸の西海岸をカリフォルニア海流・パナマ海流で南下することに
より到着できるとのこと。あわせてこれ等の土器のほかに、南米
人のDNAそして寄生虫が日本人と同じなどと、古代の太平洋の
交流を示すデータも見つかっているそうです。古代人には距離と
いうものは決定的な要因ではない。それは風と海流が昼も夜も
一年中、同じコースであるかどうかが問題なのだ、とある学者は
言います。身近な例では、東日本大震災での流出物が、北米
西海岸に流れ着いたとの報道を思い出して、成程と思いました。
私達の祖先がいかにダイナミックに活動していたかをロマンを
もって語って頂きました。
・「今まで全く知らなかった」「古代人の自然に対する観察力と
対応能力に感心した」等のアンケート結果に見られるように、古
代への興味を駆り立てた講演でした。テキストとパワーポイントに
よる映像とを巧みに組み合わせて、難しい内容のお話を分かり
易く解説頂きありがとうございました。
・講座の掉尾を飾って頂いたのは千里図書館司書の浅尾さん。
今月も多くの図書を選別して展示して頂きました。その中の1冊の
絵本「舟をつくる」関野吉晴著を取り上げて紹介して頂きました。
昔ながらの方法で丸木舟を作る内容です。先ず蹉跌を集め精製し
鉄器を作り、それで大木をくり抜いて舟を作ります。継ぎ目には
水の浸入を防ぐためにサンゴの粉とココナツの油で作った接着剤
で塗り固めます。完成した丸木舟でインドネシアから沖縄までの
4,700㎞の航海が語られました。講演と同じくロマン溢れる図書の
紹介で大変好評でした。
(原田)