7月4日(土)、コラボ談話室「違いはあっていい?」を開催しました(話題提供者:濱崎定也さん)。参加者は過去最高の28名と多く、補助席も一杯になりました。濱崎さんは、イタリアには各自が自己主張して違いを認めた上で共に暮らす風土があるが日本はやや違う。歴史的にも多様姓を否定して単一化しようとした国や地域が滅んでいる。身体障害・精神障害も多様な個性のひとつという考えもある。「みんな違って、みんないい」ではないかと話題提供しました。その後次のような談話が続きました。
二人の子どもが大学に合格したとき、義父から「あんたは自己中で変人と思っていたが見方を変えた」と言われて、互いの見方が違うことにビックリした/福岡に住んだとき大阪弁をしゃべれば「吉本みたい」、標準語をしゃべれば「なまっている」と笑われたように言葉の違いは大きい/違いはメジャーからマイナーを見た場合に表れるか/違いにも、大きな違いと小さな違いがある/ヘイトスピーチは、少数の他国人を対象に演説するが、日本語がわからないから当事者は理解できない(目的は日本人の扇動か)/東北人は無口ではなく、しゃべると笑われるから話さないだけ/自治会運営ではいろいろな意見・考えで混乱・対立することもあるが、「いろいろな人がいて当たり前」とこの年齢になって受け入れられるようになった/知人の子どもが小学校の普通学級・支援学級の両方を利用しているが、普通学級の先生の障害に対する理解がないと嘆いている/
日本にもイタリア人のように自己主張をした上で認められる人がいるが、多くは最後まで仲良くならない/イタリア人が相手の違いを認め合うのは、地方分権の考えが普及しているからと聞いた/爆買いや西沙諸島の動きなど、中国に振り回されているようで理解できない/中国に10年間滞在した最初は親子ともにいじめられたが、コミュケーションと寄付で受け入れられた/違いが受け入れられたら楽になる。相手を指導しようとすると疲れる/テニス同好会の運営に関する意見の違いで友人と犬猿の仲になったように、違いがあってはダメな場合もある/違いはすべて認められるのではなく、ISの破壊行為を食い止めるためのように、社会には一定の基準が必要では?/中国は、文化は受け入れるが人は受け入れないと聞いた/性同一性障害だけは理解不能と思っていたが、この障害を持つ二人が結婚したことにビックリしている/
無宗教の私が某宗教の信者の妻と約50年添えたのは、妻はそういう人間だと思ってきたから/川柳に「我妻は 神様からの 試練かな」がある/中国人は「一握りの砂」のようなもの。砂は血縁で結ばれた親族、手は共産党。手を開いたら砂はパラパラと落ちる/母が亡くなってから、私(姉)と妹で母に対する印象が違ったことがわかり愕然とした/自分が思うように他人も思っていると思いがちだが、実は違う/二人の子どもは同じだと思っていたが、「私は姉で、妹とは違うよ」と言われてビックリした/違いは、自分の感情に働くときに問題や悩みになる。乗り越えるためには「悩むべき課題かどうかを整理する(課題の分離)」、「相手を尊重しているかどうか」「対等であるかどうか」の点検が有効
最後に濱崎さんは、「日中韓の混成チームによる提案競技」のように、違いを認め・受け入れる取り組みや仕組みがあっていいのでは?と結びました。
次回の予定は次のとおり。
●と き:8月1日(土)10〜12時
●ところ:2階 集会室
●テーマ:「私のストレス解消法」(話題提供:松本実さん)
家庭、地域、職場などの複雑な人間関係がもとで、ストレスはますます増えていきます。そんな中でもストレスを減らしたり、軽くする方法もあるでしょう。しゃべる?飲む?食べる?運動?気の持ちよう?あなたの解消法は何ですか?ストレスをテーマに語り、ちょっぴり元気になりましょう。第1土曜の朝は、コラボへGO!
(やまもと)