7月21日 九州地方に大雨をもたらした台風11号も、関西地方は大きな被害を免れることができ、多くの方の参加をいただき、無事開催できました。井口さんには、30号の絵画の作品を3点お持ち願ったのですが、雨でなく無事でホットしました。
 話 題:イタリア・日本半々の暮らしを語る
 語り手:画家 井口純子(イノクチ スミコ)さん

今回の話は、本年2月コラボ大学校でご主人が紹介された話の延長戦で、もっと聞きたいと言う要望があり、奥様にご登場願ったものです。30年前の1985年からイタリアに住みたいという夢を持ち続け、1993年にメルカテッロという小さな町で、空き家を手に入れられました。建築家であるご主人の設計で、95年から改築工事に着工され、水道、電気が通じた96年から念願のイタリア暮らしをはじめられました。2012年に改築を全て終了され、現在は日本とイタリア半々の生活をされています。悠揚せまらず長年月を掛けられ、内外装とも色々な工夫も凝らされ、初志貫徹し完成されました。工事を開始した当初は、奇異な目で見ていた住民も、途中からは改装の手伝もしてくれる間柄になったと。現在はこの住居を拠点に絵画の創作にも励まれています。このように住民に心から受け入れられる優雅な暮らしを、羨ましく思わない人はいないでしょう。
(写真下は改築のBefore/After。 以前は自家ワイナリーだったが使われず、物置になっていた。そこを展覧会が開けるように改築)

イタリアに何度も行かれた人も、メルカテッロについてはご存知ないでしょう。情報が殆どなく、毎回配布している国や都市の概要紹介資料はご主人に手伝ってもらいました。詳しくは、その資料を見ていただきたいのですが、極、かいつまんで紹介します。

 メルカテッロは、イタリア中部フィレンツェの東約100kmのところで、アベニー山脈の中腹にある町です。人口約1,500人で、岐阜県白川村(1,600人)と同規模です。緯度は北海道旭川市と同じで、降雪もあります。小さい町ですが、役所はもちろん、教会、文化会館、博物館、音楽ホールなど都市としての機能は一通りそろっています。
人口規模からすると、日本では村という単位になりますが、全ての機能が揃っているので当記録では、町と書きます。

 井口さんのイタリアでの生活は、先ず近所の主婦二人との毎朝の散歩から始まります。一人は花の大好きな人で、散歩しながらお花摘みをしますが、他人の家の花もソット失敬することもあるとか。花泥棒は罪にならないと言うのは日伊同じなのでしょう。散歩の途中のお喋りが、町の出来事の貴重な情報源になっています。途中バールで一服した後、摘んだ花をお墓に供えて散歩は終了です。
 町の中心に広場があり、わずか25m四方のそんなに大きくない広場ですが、多目的に活用されていて、人々の重要な交流の場になっています。祝祭日、宗教行事の時はもちろん、何かに付けて必ず大勢の人が集まりにぎわいます。テント張りの出店が出ることはもちろん、競技場になり、演奏会場にもなります。

(写真は広場を中心に繰り広げられるロバ乗り競走)
特に夏場は賑やかにファッションショー、ダンス、ブラスバンド演奏、地区対抗ロバ乗り競走、バレー競技、主婦のパスタ打ち競技などなども行われます。そして広場の一角に大きなテーブルが出され、食事が振る舞われます。
音楽堂ではオーケストラやオペラなどの上演があります。日本では音楽会が終われば黙って家路を急ぎますが、この時も食事が振る舞われ、演奏について語り合い、余韻を楽しみ午後11時頃までにぎやかに過ごします。この様な交流の場で、音楽の感性も磨かれるのでしょう。
 パーティーは広場以外でも個人的に、庭や裏通りに長いテーブルを出し、文字通り日常茶飯事に行われます。ピザ焼き釜のある家庭が多く、家庭で焼いたピザもしばしばサービスされますが、最低限パンとチーズと地場の野菜があれば、パーティーとなります。老若男女、誰彼となく気軽に寄ってきます。日本では若者は高齢者に遠慮し、女性も発言を控えるという気づかいもありますが、ここでは全く遠慮なく自分の思っていることを喋り合います。他人と無理に合わせようとせず、自分と違う意見も尊重し合い、全員が平等で、開放的で気楽な時間を過ごしています。
地場産の野菜と言えば、トマトの収穫時期には、各家庭で1年分のトマトソースを仕込みます。井口さんも親しくしている方の秘伝のトマトソースの造り方を教えてもらって、半年分仕込んだとのことです。
 1,500人の町で、しばしばパーティーに呼んだり、呼ばれたりしているので、全員が顔見知りと言っても良いほどです。贅沢な食べ物を前にしてではなく、気のおけない人同士の気を使わない人のつながりが、本当の豊かさではないかとつくづくと思われ、イタリアで住居を手に入れられた気持ちが伝わってきました。

(写真は近所の人たちとの気軽なホームパーティー)
こんなにも住みやすく楽しい町で、半年間過ごした家を片づけ、冷蔵庫をキッチリ空にして家を出る時は、毎回去りがたいつらい気分にさせられるとのこと。でも日本からの”帰ってきて”のコールに勇気づけられ、戸締りをされます。
メルカテッロは、ローマ時代からつづく町で、歴史的な遺産やルネッサンス時代に活躍した人たちの先駆的な芸術家や、その有名な作品は数多くあります。それはさておき、ここでは本当に心の豊かさに満ち溢れた町の暮らしぶりのみ紹介しました。

主な質疑
Q1:日本では限界集落が問題になっていますが、小さい地方の町でそのような心配はないのでしょうか。
A1:イタリアは限界集落先進国です。1960年のローマオリンピックの後、人が町を出て、大都市や外国に出て行きました。国内には廃村になった村も多くあり、この周辺の村もメルカテッロに集約されたのです。以前は人口約2,800人でしたが、現在は半分近くに減少しましたが、この規模を維持しています。イタリアの休暇は1カ月前後と長いので、外部で稼いだ金を持って帰郷し、長期間町に留まっている間に消費行動があり、経済的にも潤います。地産地消経済が成り立ち、田舎の良さも再認識され、外部から戻ってくる人もあり限界集落にはならずに済んでいます。

Q2:自治権が整備されているとの事でしたが、どういうことでしょうか。
A2:州の法律があり、それから逸脱していなければ町独自の判断で政策を決め実行できます。政策を実行するに当たり、いちいち州からの許認可を得なくてもよく、あくまで町や住民の責任の元に実行されるということです。その事業を実行後に、採算が取れず困難な事態を招いても、国も州も一切尻拭いはしてくれません。あくまで決定した町の自己責任ですから、無理や無駄な計画は自粛されるのです。

(写真は半年間お世話になった家との別れをおしみつつ片付けをしているところ)
最後に、井口さんは、フィレンツェに来られた時は、足を延ばしてぜひ来てください。お待ちしていますと結ばれました。

次回の多文化カフェ
日 時:9月8日(火)10:00〜12:00
語り手:アイルランド人の阪大留学生 ジェームス君です。

文責 濱崎