7月11日土曜日、第62回コラボ大学校を開催しました。
テーマ:戦国武将 原田氏のルーツをさぐる
語り手:橘田 正徳さん
今回の音楽演奏は、サン・サーンス作曲 オペラ サムソンとデリラより
「私の心はあなたの声に花開く」
中住志津枝さんのメゾソプラノ独唱と川上時子さんのピアノ伴奏で
お楽しみいただきました。
語り手の橘田正徳さんは、豊中市教育委員会文化財保護係の職員として遺跡等の発掘調査に携わっておられます。講演の前日も、炎天下の屋外で発掘調査をおこなっていたとのことで、当日は日焼けした姿で登壇されました。
参加者には、長きにわたる調査の集大成というべきA4判15ページの詳細な資料が配布されました。
「お城」のイメージが無い豊中市ですが、市内には13か所の居館跡・城館跡が存在するとのこと。
内田遺跡/刀根山城/熊野田氏館/山ノ上遺跡/箕輪砦/勝部砦/福井砦/字「土井之内」/穂積砦/穂積遺跡/今西氏屋敷/椋橋城/原田城
原田城跡(北城)は地味で小規模ながらも住宅地の中にあり、城の堀割がほぼ確実に把握され、しかも土塁が現存する城館です。このような良好な保存状態を保った城館は大阪府では他に例がありません。
発掘調査において、土塁が出土すること自体極めて珍しいことだそうです。
ところで、原田氏はどのような活躍をしていたのか?
原田氏は鎌倉時代後期に登場、南北朝時代に摂津守護の被官(家臣)として活動、応仁の乱頃社会的に承認されます。戦国時代には室町幕府、三好三人衆に翻弄。この頃原田城北城廃城と南城築城。戦国末期、中川氏の転封によって一族は離散。江戸時代初期、原田村から名実ともに消滅。
原田氏の歴史は平均的な国人(有力者)の一部始終が追跡できる貴重な事例であり、
中世後期の在地社会を知る指標になるものといえます。
原田氏を含めた中世の国人は16世紀まで何から収入を得ていたのか?
まだ明らかにされていませんが、橘田さんは「実権を失った国司の代わりに年貢の徴収を請け負い、上前をはねる立場にあったのではないか」と持論を語りました。
千里図書館司書の浅尾知弘さんによる関連図書紹介では、関ヶ原合戦で戦った戦国武将をどうぶつたちに模し、史実にもとづきながら描いた絵本『決戦!どうぶつ関ヶ原』などの紹介がありました。
次回のコラボ大学校
日時:9月12日(土) 14時〜16時15分
タイトル:「宇宙から読みとく人文学
〜吹田垂水神社から難波の宮への送水を検証する 等々」
語り手:中野不二男さん
定員:70人
申し込み:8月17日(月)から受付開始 コラボ事務所へ来館または電話にて
(ツツミ)