宇宙から読みとく人文学 〜吹田垂水神社から難波の宮への送水を検証〜

9月度 コラボ大学校を開催しました。
講師:中野不二男さん
日時:9月12日(土) 場所:コラボ第一講座室

当講座は売り物の一つである川上時子さんのピアノ演奏で始まります。今回は水にまつわる講演なので、優しい感じのするシューベルト作曲「ピアノソナタ OP120番第二楽章」を選曲されたとのことで、話にふさわしい曲でした。
 演題を見て、宇宙と全く離反する人文学・考古学を研究することと、結び付かなかった方も多かったことでしょう。また、垂水と言えば万葉集に「いは(岩)はしる垂水の上のさわらびのもえいずる春になりにけるかも」という歌が詠まれていることで、垂水のことは知っていますが、大方の人は知名度の高い須磨の西の垂水と、思い込んでいたのではないでしょうか。実は地元吹田市の垂水だったと言うことを、この講座で初めて知りました。(写真は公演中の中野さん)
 中野不二男さんは宇宙航空開発研究機構(JAXA)の元主幹研究員で、地球観測衛星が収集した地形データーを解析する研究をされています。
下の写真は、地形を立体的に測定するため、電波を3方向に発信していることを説明する模式図です。
現在の地形データーと過去の地殻変動(地震)の記録や、海面の高さの変化を採り入れて、時代、時代の地形や、海岸線が再現できます。これまでの研究で、現在は海岸より8kmも内陸部にある三内丸山遺跡が、当時の海面から復元すると、海岸沿いにあったことを検証されました。

その他にも、更科日記に書かれた当時の相模湾の海岸線を再現し、現地に行って観察すると、日記に書かれた静岡県寒川神社の位置や、街道から見た風景が、忠実に書かれていることなども、立証されています。

 今回の話は、中野さんが吹田市立博物館の小山元館長とタクシーの中で、「吹田の垂水から難波の宮まで水を送ったと言う説話があるが本当かな。流しそうめんみたいなことをしたのかなあ」というつぶやきが発端なっています。この説話は、幸徳天皇5(650)年に、大阪平野が大干ばつに見舞われ、川も井戸も涸れたという。しかし、千里丘陵の南端だけは、湧水が涸れずに滝が流れていた。この滝の水を直線距離で10km南の難波宮まで送ったという話です。この地の標高はわずか26mで、難波宮への途中には当然凸凹もあり、僅かの落差しかないのに当時の技術で水が本当に送れたのだろうか。説話は天皇の威光を示すために書かれたフィクションではないのかという、ことも考えられます。
 中野さんは、送水路を考える前に、まず当時の地形や海岸線がどうだったのか、観測衛星のデーターを解析され、復元されました。それが正しいか裏付けを調べるのに古事記の記述と照らし合わせました。古事記は天武天皇(在位673〜686年)が命じて編纂されたものです。古事記は天皇家が都合良く書かせた神話だと考えられていますが、中野さんは、これまでの研究から、地形、風景などは正しく書かれた貴重な記録であると考えています。古事記には国産みの過程と、できた島々のことが書かれています。天皇の御座所を拠点として見える風景はどの様に見えたかを推定し、記録が残っている淡路島、和歌の浦、そして住之江から判断して、現在名前が消失しているオノコロ島が、じつは淡路島の南端にある沼島でなければならないと推定。その他の資料の記述とも一致することから、沼島であると断定されました。このような裏付けの検証も行い、衛星観測データーから当時を復元した地形は、当時の姿を復元しており、検証に使えるものと確信されました。

再現した地形図を使って、ルートを探りました。探るに当たり、ルート途中の凸凹が少ないこと、緊急事態で突貫工事が必要なので、資材が調達しやすいこと、それに人手も確保できることの3条件が揃えば、工事は可能だと推論を働かせました。
地形データーから、直線ではなくそれから東側に少し迂回すれば、途中の高低差が少ないルートがあると判明します。この地域は資材としての竹が簡単に入手できる。そしてそのルートを辿れば、途中に集落があり、人手も調達できることも分かり、3条件が揃いました。間違いなく送れたと結論づけることができました。写真で、上の丸印が垂水神社、下の丸印が難波宮、赤い線が送水ルート、右上から斜め下に伸びているうねった線は淀川。
 送水の高樋は、竹を縦に割ると、捻じれが生じて使えないので、中の節を抜いて円筒形で使ったのであろう。そして支柱なども使わず、地面に直に敷設したと考えられます。円筒形なら、少々高い所があってもサイフォンの原理で水は流れます。
 古事記まで遡る途中で、江戸時代後期に大阪で発生した「安政南海地震津波(1854年)」も衛星観測データーから当時の様子を再現されました。当時の瓦版が残っているのですが、この地図と再現した衛星データーを重ねるとぴったりと一致します。瓦版というイメージは、フリーハンドで適当に描いたように思われますが、これには驚かされました。当時、どんな人が、どのような測量技術でもって、この様に正確な瓦版をつくったのか、驚きを禁じ得ません。

古事記の読みときから、推理が間違いないと証明され、更に突貫工事を成功させる条件まで考慮されて、あまりにもみごとに検証されたことに、参加者一同感動すら覚えました。
 中野さんは、上だけを見て研究するJAXA研究者たちの中にあって、下を向いての研究で、結果は必ず現地に赴き、自分の目で確認されています。そして、古文書の解読もされて裏付けを採られています。まさに、理系と文系を結ぶ学際的な領域の研究で、宇宙と地球とを結ぶ上下軸と、古代と現在をつなぐ時間軸という2つの軸を組み合わせた、非常にユニークな新たな研究領域を確立されつつあります。現在は京大の特任教授の職にあって、博士課程研究生の論文の指導をされています。今後研究の確立と、後継する若者の育成に期待する次第です。
 参考写真は、グーグルI/N 2011年7月 千里ニュータウンのブログより

次回のコラボ大
日 時:10月10日(土) 午後2時〜4時15分
テーマ:トイレ今昔ものがたり 〜東海道中膝栗毛から見るトイレ文化の変遷〜
語り手:山路茂則さん
文責 濱崎