開催日 6月11日(土)
タイトル 「みゃーくうた やいまうた 
〜宮古・八重山 島々に生きるうたを求めて〜」

語り手 吉岡久範さん(写真左)・北林直樹さん

沖縄本島から南西に数百km離れた宮古諸島・八重山諸島。
島々にはそれぞれ独自に育まれた文化があり、唄があります。
今回は宮古民謡・八重山民謡に心惹かれて三線を習いはじめ
現在では北摂地域でそれぞれに民謡サークルの代表を務める
吉岡さんと北林さんに、三線の生演奏を交えながら
宮古・八重山の地理歴史とその風土から生まれた民謡について
語っていただきました。

まずは八重山民謡に関するお話を、北林さんから。
「沖縄はかつて、琉球王国というひとつの国家であり、首里には王様がいて琉球王朝の宮廷文化が栄えていました。その宮廷文化の中で広まった音楽を古典音楽と呼び、一般の人々に好まれたものを民謡と位置付けます。
三線が中国から沖縄へ伝わったのが15世紀ころと言われています。15世紀後半には堺へ伝わり京へ、そして日本全国に広がり、形を変えて三味線となります。
歌は沖縄に関わらず世界をみても元は神事であり奉納から始まりました。
三線が伝わる前より歌は存在し、八重山には幾つかの段階を経て、歌へと昇華していった歴史があります」

〜八重山民謡の流れ〜
◎呪禱 ・・・ 神口・願い口(司やユタによる神の言葉を模したもの) 1600年代より前
◎叙事 ・・・ ユンタ・ジラバ・アヨー(民の歌。歴史や事実を元にし、生活に密着し
 感情を持ってより明確に音楽へと発展) 1600年前後
◎抒情 ・・・ 節歌(役人の歌。初めて三線伴奏が入る)1600年代以降

「こうして三線の普及により、歌はより音楽性をもって役人のみならず民衆へと広がりを見せます。歌は神への祈りから、喜怒哀楽を表現し時にジャーナルでスキャンダルでもあり、海を渡り広まっていきました。
時代を経て、沖縄音楽は多様に変化し今もなお古典・民謡はおろか新しい歌が生まれています。ただ、八重山には新しい民謡は本島ほどは創作されていません。昔から伝わる歌を大切にして現代の暮らしにそっと寄り添っています。
八重山民謡は生まれた場所は関係なく誰が聴いてもどこか郷愁を帯びた旋律です」

演奏曲 : 『いーやる』 『親廻る節』 『八重山育ち』 

10分間の休憩後、宮古民謡に関するお話を吉岡さんが行いました。
「・宮古島の唄の総称は、あーぐ(あやぐ)という
・語源は綾語(あやご)から来ている
・古くは神歌、長あーぐ、叙事歌、叙情歌、トーガニ、クイチャー、恋のうた、遊び歌、子守歌があり、島人の生活に生き続けている
・叙事歌は神々を対象とした古謡の神歌から人々の暮らしや社会事象へ移っていく歌が多い
・そのほとんどが、名も無き百姓がつくった唄
・識字の文化が遅かったため唄で伝えようとした
・悲しい唄は少なく、たくましさ、明るさが全面に出ている
・干ばつなどの厳しい自然環境、過酷な人頭税といった社会環境が影響している
→琉歌のような定型ではなく、短いが、韻を踏むような歌詞が多く、気持ちを深く表しており奥が深い」

演奏曲 : 『とうがに』 『豊年の歌』 『多良間しゅんかに』

講演の締めは、宮古民謡「クイチャー」と八重山民謡「六調節」
曲に合わせ、参加者のみなさんが輪になって踊ることで
会場に一体感が生まれ
「ずみ!」(%王冠%) なコラボ大学校となりました。

宮古・八重山の島々の民が置かれた
過酷な自然環境や社会環境のなかで生まれた唄が200年以上歌われ続け
遠く離れた関西の地で歌い継ぐ人たちがいること、ほんとうに「ずみ!」です。

吉岡さん・北林さん、 「にーふぁいゆー!」

ずみ・・・〔宮古方言〕最高、すばらしい
にーふぁいゆー・・・〔八重山方言〕ありがとう

千里図書館司書 平井さんによる図書案内コーナーでは
宮古・八重山に伝わる民話の絵本や、三線の弾き方入門書
宮古民謡・八重山民謡のCDが紹介されました。

7月度は京の都の恋物語(%ハート%)(%ハート%)(%ハート%)

【次回のコラボ大学校】
日時 7月9日(土)14:00〜16:15
会場 千里文化センター「コラボ」3階 第1講座室
テーマ 「源氏物語 〜恋の始まりは垣間見から〜」
語り手 原田仁八さん
申込み コラボ事務局 TEL 06−6831−4133

(ツツミ)

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