12月10日(土)、コラボ談話室「限界を超える」(話題提供:山本茂さん)を開催しました。参加者は19名。山本さんは、日本海から太平洋へ、日本アルプスを8日以内で縦走する「 TJAR (トランス ジャパンアルプス レース)2016」に参加した選手29名が語った「まだ先にある自分の限界を確かめたいから挑戦する」「可能性がある以上、あきらめる理由がない」「どこまでならいいんでしょう、自分がやりきったというのは・・」などを紹介。疲労と睡魔の中で限界を感じつつ、なお挑戦する力は、どこから生まれるのか。「あのとき必死に乗り越えた」という似たような経験は、誰もが持っているのでは?そんないろいろな“限界”について談話しましょうと語りました。そのあと次のような談話が続きました。
最初の子どもを産んだとき、限界に近い苦しさを感じた/みずから挑む限界とともに、向こうからやってくる限界(苦難、試練)もあるのでは?/山で遭難しかかった(≒限界を感じた)とき、家族のことが頭に浮かび、死んではいけないと思った/若いとき複数の仕事をやり遂げたように、人間は相当鍛えられる(限界はあまりない)のでは?/日本語教師としてタイに行った翌日、いきなり壇上に立たされたとき限界に近いものを感じたが、なんとか役を勤めた/目標に向けて自分のできる範囲で日常的に向上をめざしているので、限界を超えるということがピンと来ない/明確な目標(ここまで行かないとダメ)を設定する人と、ぼんやりした目標に向けて一歩一歩進む人の両タイプがあるのでは?/限界は自分で決めること。価値と限界はバランス関係にあり、価値があると思えば限界を上げられる。限界を超えるためには「精神+知恵」、そのためには他人の力が必要。夫婦で起業して以来、頭を下げてやってきた/
出産するのは子どもがかわいいから、苦しい山に登るのは山に価値を置いているから/自分で目標を掲げて実現のプロセスを描ける人はその能力がある人。兄や姉を見ながら成長するように、限界を乗り越えるにはその素養が必要では?/自分を振り返ると、後悔も多いが、挑戦もしたし、よく乗り越えてきたと少し光も見える/中学の時、先輩と真剣勝負をして絞め技で落ちたときの「限界」は気持ちよかった/「根性大根」のように、植物は限界を超えるものが多い/葬儀で正座をして足がしびれたが、限界を超えると平気になったのは不思議/瞬間に感じる限界と、振り返ると限界だったと感じる長期の限界があるのでは?二人の子どもの病気のことで、長い年月をかけてよく乗り越えたと思う/限界≒挑戦と言えるか?数年前に伊勢街道を3泊4日で歩いたのが自分の財産になった。帰りは近鉄特急で3時間で帰ったが/体力があることも挑戦できるかどうかの条件/
後悔しても一銭の足しにもならない。思い返せば挑戦して良くここまで来たと思う/TJAR優勝者の望月さんも、家族や周りの人の協力があり、感謝や配慮があったから、限界(目標)を掲げて達成できたのでは?仕事で付き合いのある某大手企業の代表は、できないと思えることを成し遂げるためには、自分で何とかしようとしないで、人の力を借りたら良いと言っている
最後に進行役の濱崎さんは、「究極の限界は、千日回峰行を2度満行した酒井雄哉大阿闍梨ではないか。優勝者の望月さん(職業は山岳救助隊員)が万一に備えて応急処理キットを持参したのは立派だ」と結んで談話室を終えました。
「限界」をテーマに語りあった談話室から見えてきたことは、限界≒目標であること、自ら設定する限界と与えられる限界(試練)があること、短時間の限界と長期間の限界があること、目標が高ければ高いほど限界を身近に感じること、限界(困難)を乗り越えるためには自分だけでなく周囲の協力と周囲への配慮・感謝が不可欠であることなどでした。「限界」を通じて、日々の日常生活や各人の半生をふり返り、年齢に関係なくチェレンジすることの大切さを教えられる談話室になりました。
次回の予定は次のとおり
●と き:1月14日(土)10〜12時
●ところ:2階 集会場(公民館事務所横)
●テーマ:「お役に立つ百寿者をめざして」 (話題提供:松本勲さん)
百寿者とは100歳を超えた人のこと。日本では現在1万人に約5人。毎年増加しています。自分には関係ない、寿命はコントロール不可能と思っていた松本さん。百寿者が身近に現れるようになり、もしかしてできるのでは、百寿者をめざすことに価値があるのではと考えるようになり、呼吸法、真向法や瞑想、夫婦共通の楽しみなど、新しい取り組みを始めているそうです。そんな松本さんの話題をもとに、これからの超高齢社会での私たちの生き方を談話しましょう。
(やまもと)