3月11日(土)、コラボ談話室「2025年大阪万博を考える〜残すこと、変えること〜 」(話題提供:堀内秀隆さん)を開催しました。参加者は17名。最初に、動画を通じて大阪万博がどんなものだったかを再確認しました。そのあと堀内さんは、「モノの豊かさを求め、先端技術(ワイヤレステレフォン、テレビ電話、電気自動車など)の開発が始まった頃に開催された大阪万博。約50年が経過して、モノがあふれ、先端技術の多くが実現した2025年に2回目の大阪万博が計画されている。年配のみなさんは、70年万博の頃にどう過ごしていましたか?そしてこれからどう年齢を重ねていきますか?二つの万博の時代を対比させながら、世代間で交流しましょう。」と話題提供しました。そのあと、次のような談話が続きました。
マクドナルドが初登場するなどグローバル化のきっかけになった/岡本太郎や磯崎新などの芸術家・建築家が数多く参加し、才能が花ひらいた/60年代の学生運動が挫折し、三島由紀夫の割腹自殺事件があるなど期待と不安が錯綜した時代だった/テーマの「人類の進歩と調和」が理解できなかった/万博開催によって吹田が全国区になった/生まれていなかったので、タイムマシーンがあれば行ってみたい/船便しかなかった時代に沖縄から万博に行った人はヒーローだった/知らない親戚の人がいっぱい訪ねて来たのを子供心に覚えている/新千里南町マーケットの空き部屋を宿に仕立てたら沢山の人が利用した/住友館でロボットがピアノを弾いていて驚いたが、人型ロボットが普及する時代になった/福祉関係の人が「ロボットは怒らないからいい」と言っているのを聞いて複雑な気持ちになった/
万博は戦後25年を経て日本人が自信を持ち始めた時期か/尼崎から千里の親戚に来て夜の万博を何回も見に行った/集中する車の処理法が検討されたとき、若い建築家がマーカーでぐるっと描いたマルが今の万博外周道路になったと聞いた/エスカレーターの右に立つ大阪特有のやり方は、大阪万博の影響と聞いた/70年万博で国際化・グローバル化(海外に行かなくても多文化を理解できる?)が進んだが、その後は停滞しているのでは?/テーマ「人類の健康と長寿への挑戦」はすでにやっていることであり意味がない/高い金をかけてバカでかい建物をつくるならやらない方がよい/「長寿」は医薬品・食品産業が盛んな大阪の特性をビジネスの視点で活かそうとしたのか/「長寿」に代わる「未来社会をどう生きるか」も検討されている/「幸せへの挑戦」ならピンとくる/
幸せの概念は、70年代は一方向だったけど、今は多様化している/社会的に評価できる幸せと違い、自分がしみじみ感じる幸せは指標化できないらしい/健康や長寿が幸せなのではなく、たとえば夫婦が助け合うことが幸せでは/今はほおっておいてもみんな長寿だから、「長寿への挑戦」はいらない/70年にインドネシアにいたので、次の万博ではインドネシア語の通訳で貢献できないかと考えている/健康や長寿は“目標“ではなく、充実した高齢期のための“条件”と考えている
最後に堀内さんが、「人と人がつながりあい、支えあうことは人類の普遍的なテーマ。みなさん幸せな年のとり方をしましょう。そのことを話し合えたコラボ談話室はとても貴重な場です。」と結んで終えました。
次回の予定は次のとおり
●テーマ:「昭和から平成、そして今」
話題提供:飯田道子さん(「呆け防止高齢者の会」発起人)
●と き:4月8日(土)10〜12時
●ところ:2階 集会場(公民館事務所横)
昭和から平成になって30年近くが経過しました。そして新しい年号へ変わろうとしています。昭和・平成を通じて、あなたはどんな仕事や生活をしてきましたか?時代の流れをどう思っていますか?あなたや若い人にとって、次の時代はどうあってほしいですか?この時期を捉えて、時代の流れをふり返り、次の時代に思いを寄せてみましょう。
(やまもと)