3月初旬としては暖かい7日(火)に、スーダンからの留学生ニーマ・エルアミンさんを招いて開催しました。 ニーマさんは、2014年に来日し、現在阪大の博士課程で経済学を研究しています。今回は、殆どの日本人が旅行にも行ったことのないアフリカのスーダンの生活や文化の紹介で、知らないことばかりでした。以下はその概要です。
スーダンの面積は日本の約5倍でアフリカで第3位の広さですが、2011年に南スーダンが分離独立するまでは第1位でした。人口は約4千万人で、首都はハルツームです。スーダンは何といっても世界一長いナイル川が国土を縦断していますが、ハルツームで水の色が青っぽい青ナイル川と白っぽい白ナイル川が合流し、ナイル川になります。青ナイルの源流はエチオピアで、白ナイルはケニアにあります。ほとんど知られていないのが、メエロという所には、小型のピラミッドが数多くあることです。
気候は、夏と冬、雨季の三季で、西の地方には春があります。冬でも30度を越えますが、湿度が低いので過ごしやすいため、大阪の夏はとても暑く感じます。
民族は大きくはアラブ系、イエメン系、エジプト系の人たちで、ニーマさんはアラブ系スーダン人ということででした。多民族国家で、外務省のデーターでは200以上と書かれていますが、ニーマさんの話によると約600あるということです。
かつてイギリスの植民地だったので、公用語は英語と思いがちですが、実はアラビア語です。
100ほどの言語が使われ、当然地方では方言がありますが、その中でルタナ語には文字がないのでその民族の人しか分かりません。プレゼンテーションのあと、参加者の名前を一人ひとりアラビア語で書いてくれました。
宗教は、イスラム教徒が97%で、それ以外はキリスト教徒、その他の伝統的な宗教があります。南スーダンでは、米国が支配していた時期にイスラム教を禁じていたため、一番多いのがキリスト教徒です。
スーダンは大家族で文化で、ニーマさんは祖母と一緒に暮らしています。以前は子供が4〜5人の家族が多かったのですが、最近は2〜3人になっています。家族はもちろん、従兄弟など親類とも強いつながりをもっていますが、近所の人達とも仲良く暮らしています。
結婚式の行事は普通1週間ほど続き、主な行事が5つあります。結婚式本番の1週間位前に行われるヘナも行事の一つです。新婦の手と足に、新郎には手にヘナという模様を描きます。日本と同じように結納の行事もあり、3〜4日前に新郎側から新婦側にヤギとかの家畜や金などが贈られます。結婚式の本番の日には、モスクで契約書にサインし、婚姻届をします。
その後、最終の行事である披露宴には大変多くの人を招待します。ニーマさんの姉の結婚式の時には、近所の人たちだけでなくニーマさんの友達まで呼びました。普通700人〜1200人が参加します。遠方からも来られるので、新郎や新婦の家や近所の家にも泊まりますが、家が広いので大丈夫です。
民族衣装は、男性用にはジャラキアとターギアがあり、女性用はトーブと言います。
ニーマさんは男性用の帽子とトーブを持参してくださり、参加者が着せてもらいました。
食べものはパンやチャチャパティのような形の小麦粉を焼いたものが中心で、肉やトマト、豆類その他の野菜とヨーグルト、それらをスパイスの利いたサラダにして、手で食べます。スーダン独特のまさに和洋折衷の驚くような料理があります。それは、一つのお皿にパンを乗せ、肉のスープをかけ、その上にご飯(米)をのせ、その上に肉を盛った料理です。お米がかなり食べられています。
経済は農林業が中心で、1/3は農地と森林で、輸出の95%が綿、ピーナッツ、ゴマ、ゴムなどの農産物です。これも日本ではほとんど知られていませんが、ゴムはアラビアゴムと言われ有名です。
政治・文化は、過去の英国エジプト共同統治が深刻な影を落としています。南北スーダンの離反は、英国の植民地になって以来深刻になったとのことです。英国はスーダンを南北に分離し、南北間を自由に移動させないように、旅券が必要となりました。南スーダンではイスラム教や民族衣装も禁じられました。1956年にスーダンが独立後、合併も模索されましたが、50年間の分離統治の間に、余りにも文化的な差異拡大してしまい、個人レベルでは仲は悪くありませんが、資源や国境紛争などが起き、政治的な対立を引き起こしています。結局、南は2011年に南スーダン共和国として分離独立しました。
日本との交流で特筆すべきは、ハルツーム大ではJapan Day Sudanという催しが3月の1日と2日に開催されます。この日には、大学生がJICA隊員の指導で覚えた日本の歌やバンド、獅子舞、和太鼓演奏や空手などの武術も披露されます。日本のアニメはアラビア語に吹き替えられてよく見られています。日本車も人気です。日本語を憶えたいという人も多くいます。
日本では、スーダンというと、南スーダンの内戦のイメージしかないところ、とても貴重なお話を聞けました。