4月度 多文化カフェ開催しました

10日ほど前に、ツバメを初認してから寒の戻りに見舞われ、どうしているかと気が気ではありませんでしたが、今日元気に飛び回っている姿があり、一安心しました。
 去る4月16日、多文化カフェを開催。今回は、フランスに駐在された坪井孝夫さんに、駐在地リヨン市について話を伺いました。ビジネスマンとして、あるいは日本人、音楽愛好家として、人生観を交えてのお話でした。 以下概要を記載します。

 リヨン市の紋章はライオン。LYONはLIONのことである。内陸部に位置し、気候は冬1〜7℃と寒いが雪はない。夏は26〜27℃と過ごしやすい。フランスは、食材の豊かな農業国である。フランスで2番目の大都市で、食文化の中心であり商業の盛んな街なので、大阪との類似点の多い都市だが、姉妹都市は横浜である。その理由は、後述するが、明治の作家永井荷風にある。

 NHKのEテレ「ららら クラシック」で紹介されたリヨン国立管弦楽団の音楽監督メルクル氏(母日本人、父ドイツ人)は、現在リヨン在住ですが、芸術家らしい感性で、リヨンの食文化を上手く表現している。「リヨンはグルメの首都。伝統的な料理と新しい料理が競い合い、常に新しい料理が誕生。五感を刺激してくれる街であり、重なり合う色彩が常に変化している。”色彩の移ろい”を感じる街である」
 そうであれば、三つ星レストランは多数あるように思われるが、市内には一軒もない。市内のレストランでは、主に庶民的な家庭料理”ブション”と呼ばれるフランス版ホルモン料理を出す店が多い。日本でも有名なフランス料理の高級店は郊外にある。

リヨンはローヌ河とソーヌ河によって時代別に特徴のある三つの区域によって構成されている。古代地区には、古代ローマの円形劇場や、丘の上に建つノートルダム・フルビエール大聖堂などの遺跡や古い建物が数多く存在している。
 中世地区には、リヨンの経済発展を支えた絹織物や染色工業、映写機などを製造した建物が歴史博物館として残っている。
 近代地区には、リヨンのランドマークの一つであるクレヨン型建物など商業施設や住宅地が広がっている。

近くには有名なボジョレーやマコンなどブルゴーヌやコート・ヂュ・ローヌと呼ばれるワインの産地がある。この地方の土地は、水はけのよい石灰質の土壌で、ワイン用ブドウの栽培に適している。ワインは、ワイナリーの場所、銘柄、生産年度などによって非常に細かく分類される。この辺りで醸造されるエルミタージュの赤が好みであるとか。
 チーズの種類も豊富である。ST.MARCELLINは、現地ではポピュラーなチーズ。トロ−ッとしたクリームの食感がありおいしいのだが、日持ちがしないので輸送期間が必要な日本では食べるのは難しい。チーズの中には匂いの強いものもあったり、人により好き嫌いが分かれる。青かび入りのブルーチーズも大好物である。

 リヨンは、かつては絹織物産業の中心地であり、染料として西洋茜(アカネ)の根から抽出されるアリザニンが使われていた。因みに昆虫記を著したファーブルはこの染料抽出のパテントを持っていたとのこと。京都の2代目槇村正直知事は、明治はじめ、日本初の発電所建設、初の市電を走らせるなど先取精神の旺盛な人だった。西陣織物職人をリヨンに派遣し、織機の導入や染物技術の習得をさせている。その後、合成繊維や化学染料が製造され始めたこと、中国や日本の絹に取って代わられたことなどで、西洋茜の栽培も、絹織物産業もし衰退。新たな産業への転換が迫られ、ワイン、化学、自動車などの産業への転換により蘇った。TPP参入で問題になっている日本の農業も、リヨンの歴史から学ぶところが大きいのではないか。

フランス人の気質は日本人とは大いに異なる。フランス人は個性重視。人真似を嫌い、ファッション等でもオリジナリティーを尊重する。ドイツでも同様の傾向がある。娘さんがドイツの学校に転入する際、先生から「○○さんは、私たちのだれよりも日本のことをよく知っているから、日本のことを教えてもらいましょう」と紹介される。一方、日本では「この子は、日本語も話せず日本のことを知らない。皆さん、この子を助けて一緒に遊んであげてください」となる。個性を伸ばそうというのではなく、同化させようとする。日本では空気が読めないことを排除しようとするし、全体のために個性を殺すことに美学を感じる面がある。
 個性を重んじる芸術の世界では猶更である。ゴッホその他のフランス印象派の画家は、浮世絵に大いに刺激を受け、浮世絵に描かれた漢字まで、模写した作品などにも表れている。1867年、パリで開催された第1回万博などを契機に、ジャポニズムがフランスをはじめとした欧州に定着した。日本は、昔は浮世絵で、今はアニメでフランスに影響を与え続けている。

 リヨンの風物で特徴的なのは、建物の壁に実物とそっくりな”だまし絵”が描かれている建物が多くあり、年々増えている。そこに物や人物が実在するような錯覚を覚える。
 永井荷風の代表作に「フランス物語」がある。荷風は明治40〜41年に横浜正金(現三菱東京UFJ)銀行のリヨン支店の行員として駐在している。この作品に書かれたローヌ河に架かる橋は、後に彼がこよなく愛した隅田川の吾妻橋の風景によく似ている。荷風にとって、リヨンは忘れられない街だったようだ。
 自転車専用道がよく整備されていて、河沿いに延々と専用道が続いている。休日には、サイクリングで遠出を楽しんだ。
 リヨンには単身赴任されていて、奥様は春・秋に催されるセールスに合わせてリヨンを訪れられた。日本では、パッチワークを楽しまれ、作品のテーマとして「星の王子様」を選んだ作品を数多く制作されている。1.1m×2.1mもあるような大きなタペストリーもあるとのこと。お孫さんには、星の王子様の最後で語られる大好きなことば「肝心なことは、目には見えないんだよ」をフランス語で刺繍してプレゼントされたとか。作者であるサン・テグジュペリはリヨン出身で、リヨンのサトラス空港は、現在サン・テグジュペリ空港という名称に替わえられている。

主な質疑を紹介。
①ドイツ人との違いについて。ドイツ人は指示をよく聞いて守ってくれるが、反面原則を変えない。フランス人はレジスタンス精神旺盛である。発想が自由で自分の考えを 主張するため、数人ででもストライキをすることがある。
②犬に関して。犬を飼うにも税金がかかる。予防注射も、調教も徹底されている。躾が良いので、犬同士がすれちがっても”ウー ウー”などと吠え合うことがない。
③語学について。語学学校は、協会の寄付で運営されている学校もあり、無料のとこ ろも多い。外人に語学を教えることを通じて、自国の文化を広めようとの意図がある。
④ビジネス環境について。駐在していた会社が、フランス以外の国に進出しようとした 際、進出国の情報提供や人脈紹介など、政府や地方の行政機関がサポートしてくれたこともあり、仕事がしやすい環境である。日本のJETROは、貿易バランスが出超であった時期に、輸出企業を抑え、むしろ輸入増に力点を置きすぎ、それが今日裏目に出ているようだ。

 旅行やメディアからの情報では得られない、リヨンの色々な面を知ることができた。