夏休み

秋の気配が少しずつ・・・

毎日暑い暑い日が続く毎日の気がしますが、確実に少しずつ秋の気配を感じております.

夏休みに入ってCASAはというと、
ありがたいことにケータリングやらイベントやら、毎日毎日何かと忙しく活動させていただいています(%晴れ%)

特に今回のお仕事、この1週間ほど、早朝からの朝ごはんケータリング、
今日で終了しました.朝7時から30名の提供ということで・・・
毎日5時02分三宮初の始発に乗り込み、
昼間は仕込み、そして買出しという怒涛の日々が続きました.

いよいよそれも今日で終わりです.そしてまた新たな動きが始まっていきます.

CASAをはじめてなんやかんやでもう2年は立つわけです

もちろん考え方だって、2年間あれば試行錯誤の中変わっていきながら
“正しい道”なんてものはわかるはずもないのだけど、
妙に迷いがあるとき程、その正しさとか、考えたって分からないことを無駄に考えて、

迷って迷って迷って・・
その歩み方に疑問を持つ.正しさや理由を求めたりしてしまう

歩みは止めずとも、
浅はかになる.

そんなときは必ず戻る場所が必要で

戻る場所、って言うのは自分の中ではいつもはっきりとあるから、
また立ち直り考え、そして行動することができる.

「このひとたちのために」

そもそもCASAが始まったのは4人の女性がいたから、であったから.
その人たちには力があった
「その人たち」のために何かがしたいと思って始まったのがきっかけで、

そこからの発展だったり、目指す姿は確かに変わった、けど・・・

4人と一緒に、その人のためには変わらない.

手段が就労であり、ビジネスであり、
またそれに可能性を感じたからの今のCASAの就労の場作り.

ただそこのバランスはかなり、というか相当難しい.

今でも動けば動く程に、結果として形になればなるほどに
「何が女性たちにとってベストなのか」っていう疑問はいつまでも
姿、形を変えながら悩み続け、探り続ける疑問でもあります.

商売となると、かならず犠牲にしないといけないこと、きれいごとだけではいかないこと、競争しなければならないこと、妥協すること、口だけではなく知恵を出す瞬間だって・・いっぱい生まれてくる

それが女性たちにとってのエンパワメント(自信の回復)となる場合も
またその逆もある 
今までがんばろう、の源であったお客からの一番嬉しい言葉「おいしいです!」

も、女性シェフにとって逆に経験を積めば積むほど、求められれば求められる程
それがプレッシャーになることもある.

言葉で、これはCASAに限らず、「地域から」とか「一緒に」とか「多文化共生」「社会起業」とか・・
言うのは簡単、でもその中身といったら深くて深くて仕方がない

女性だって4カ国も国が違い性格も違う、バックグラウンドも違うそれぞれの人間だから
もちろんスピードもそれぞれだし、またその努力の仕方だって個人個人
とらえかただって

仲良く、楽しく女性たちと活動するのは簡単だけども、
仕事として
お金が発生しお客さんが発生し責任が生まれると
そこはただの仲良しクラブではないから
言いたくないことも、目をつぶりたいことも、少々嫌われたって言い合わなければ
ならない瞬間だって増えてきた.

社会起業って、ますます訳が分からなくなる
バランスっって何なんだろう・・・それはいつまでもついて回る.

そんなこんなの夏休みの中で、

今年も去年と同様、愛媛県愛南町に行かせていただきました

あいなん町で学んだこと

1年後、といって学ばせていただいて、本当に1年後こうやって元気にもう一度やって来れたことそれがとても嬉しくて

1年たっても変わらない、大好きな町や人々がかわらずいてくださりました.
同じ追いかけたい背中の人々、場所がありました.

ただ、1年という中でCASAも同じですが、
愛南町もぶつかること乗り越えることで変わったことだってあるんだって感じたりもしながら.

変わっていく、その変わったことの結果はやっぱり今は分からないこと.
いつまでもチャレンジし続けながら進み続けながら歩みを止めないで

そこで見失うものもたくさんあるけど
「この人のために」という戻れる場所は変わらない

手段は変わっていっても、変わらない部分、変わってはいけない部分がきちんとありました.

その人にとってどうなのか、事業全体にとってどうなのか
大きくも小さくも、個人単位も団体単位でも・・・

愛南町での夜のこと、
私はそこで働いている当事者の方々と一緒にごはんを食べました.

そもそものきっかけである、
「この人のために働く場所をつくりたい」といった当事者の方々が、
何年たった今でもこの仕事場をやめないで続ける人々が変わらずにいること.

誇りをもって胸張って一生懸命働いてる、一番きらきらしてる存在がその人たちであったことに、私はちょっぴしなきそうになりました.

目指したい姿がやっぱりそこには変わらずにありました.
見た目がどうこうでではなく、
もっと根本的なものとして排除のない空間がそこにあるから

当たり前の姿があるからこそ、すてきだった.

代表の方がおっしゃったこと、
ビジネスの中で失っていくものがある中でも、事業としてかわりゆくスピード
や展開の中でも・・なにがあろうとも、
商売として割り切らなければならない考えが必ずある中でも、

その人たち(当事者の方)だけは何があってもそこからドロップアウトさせてはいけないと.

CASAも同じで、事業化、そこから生まれる変わり行く展開やスピードの中でも「このひとたちのために」とはじめた
4人自身を「CASA」(就労の場)によってドロップアウトさせては意味がないと心底思った瞬間でもありました.

たくさんの壁をなんども乗り越え、乗り越えの継続の中
チャレンジし続ける愛南町の方々姿に、おもいっきりパワーをもらって

私が戻る原点というのは、愛南町でもあると改めて感じました.

だからやっていける、信じていける.

夏休み、
息つく暇なくって、なにやってるんだろーって思うことばっかりだけど
今のこれがないとできていくものは決してないのだから

新しいものをつくりだすということは・・・難しい
動かずしてできるわけもない、
だからこそ中途半端じゃいけない.

CASAとしても色々な動きのなかで
見極めて、信じて、

ただただ進み続けようと思う.