すっごく大切にしたかったこと

自分がCASAを始めた理由でもある、
すっごく大切にしたかったこと、なんだっけ?

それを今探してる.

2年前のTANKのときのブログ読んだりしながらそのころの
なんにも飾らない自分の気持ちに触れてみて、
ちょっとドキッとしたり

本当に大切にしたい気持ちがそこには確実にあったから.

本当に大切だ、貫きたい
そう思ってその頃は人目気にせずただひたすら突っ走ってきた.

始めはむちゃくちゃでがむしゃらでぼろぼろな感じで、
ひとつひとつのことにバカみたいに泣いたり、笑ったりしながら・・・

それでも大切だと思ったこと大切にしながら進んでいくと、たくさんの仲間や
応援してくださる方々に支えていただいた.

初めて4人の現在のシェフである女性たちと出会い、本当においしい料理食べて、
すごく自信なさげな女性たち見て、矛盾を感じてどうにか一緒に笑いたくて

一つ一つ手をとって一緒に歩んできたはず.

自分がCASAを通して表現したい社会がそこにはあった.

「支援する−される」とかじゃなくて、堂々と胸張って社会で暮らして欲しいと思って、
自信もって欲しくて、それが「働く」という環境を作ることで自分たちで立ち上がるステージをつくることが出来るとなんども確信した.

そんな姿勢をCASAが社会で示したかった

それは滞日アジア人女性だけの問題ではなく、日本で弱者と呼ばれる
全ての人たちに共通すること.みんな胸張って生きれる社会がいい.

だからこそ今まで、
女性たちと一緒に、

一緒に創りあげて、一緒に歩んでいきたいと思った

それはひっぱるだけじゃなく協働すること.
一方的なものではない.

まだたったの2年間、
ただ、時が流れる中で、周りも変化し、自分も変化し、目前に迫った将来と、
理想と現実のギャップを感じて、社会の厳しさ感じて

きれいごと、夢見ることだけではどうにもならないと

形作ることにこだわりすぎて肝心な気持ちが空っぽに.

何を大切にしてきたのか、自分の大切にしたい価値観はなんだったのか、

全てに追われてわすれそう、
ないがしろにしてきたなと.
ただただブレまくっていた.

悲観的になって、全てのことマイナスで暗いとこを向いてしまったら
そこまでで何も生まれない.
あきらめたら、自分が人生かけて描きたいと思った社会とはさよならで、
できなかったら、そんな社会では暮らせない
大切にしたいと思ってやってきたことが大切にも出来なくなる

まっぴらごめんだ.

本当に大切にしたいと思った気持ち、今だからこそあきらめないで、
もう一回、もう一回踏ん張って自分に問いかけて、

もう一度大切にしなおしたい.

ぐぐっと踏ん張って、まっすぐどっしりと前向いてもう一度上向いて目指したい.

出来ない理由は本気でいらない、
やるための努力にだけもっともっと賭けてみていいはずだ、

自分が始めに感じた想いを貫くためにも、
大切なこともっかいしっかり持ちながら、表現しながら
進んでいくのみです.

あきらめたらなんも変わらない.

すっごく大切にしたかったこと、で終わらせたくはない.