_殿(朝来市) 乳ノ木庵の由来となぞ

殿(朝来市)には、とっても不思議な場所でもある、
乳ノ木庵(ちちのきあん)があります。

庵(いおり)とは、僧侶や隠者が世俗を離れて仮住まいする、質素な家屋のことなんですが、どう見ても仏様をおまつりするお堂ですよね。

明治から昭和の始めの頃までは、別棟の庫裡があって、僧籍者か高野聖が住み込んでいて、地元の子供たちを集めて、寺子屋みたいな場所でもあったようです。

もっと昔にはお寺があって、ここはかつて廃寺跡だったとも言われています。

その乳ノ木庵で、先日に修繕工事が完了しました。

土壁の漆喰の一部が、長いあいだの風雨にさらされていたので、はがれかかっていたのです。

これで大丈夫になったでしょうか。

この乳ノ木庵のいわれは、樹齢が800年とも伝えられる、巨大な銀杏木によるものです。

地元では、乳ノ木さん(ちちのきさん)と呼び親しんでいます。

その昔には、妊婦さんや赤ちゃんを出産されたばかりのお母さんが、母乳が良く出て我が子が元気で育つようにと、お参りされたそうです。

乳ノ木さんの銀杏木の幹には、その頃の名残が刻まれています。

兵庫県立考古博物館が実施した、埋蔵文化財発掘調査の報告書によりますと、

この乳ノ木庵の住所は、市条寺という地名にあたり、県立北部農業技術センターの整備の時に、いくつかの古墳群が見つかったそうです。

文化財発掘調査報告書第191冊
朝来郡和田山町所在
 向山古墳群・市条寺古墳群・一乗寺経塚・矢別遺跡
−県立北部農業技術センター整備に係る
埋蔵文化財発掘調査報告書− 
発行年月:1999.03 (平成10年度)

市条寺1、2、3、4号墳
ふりがな:いちじょうじいち、に、さん、よんごうふん
時代:古墳
所在地:兵庫県朝来市和田山町殿字市条寺
緯度経度:35.313444, 134.825861

その後に7世紀の大化の改新の当時、日本は律令国家(律は刑法 令は行政法)となりました。
それから奈良時代から平安時代の末期にかけて、但馬國の行政組織の長として、国司を任官して官位を授けていました。
その下部組織として、郡司が地方行政機構の末端の役人として、郡内の行政を施行する官僚的性格を保持していました。
鎌倉時代の黎明期に朝来郡司へ任官された。朝来郡司であった日下部実樹との関連も考えられます。

また中世のころに造られた、金属製の経筒が経塚に、埋められていたそうです。

一乗寺経塚
ふりがな:いちじょうじきょうづか
時代:中世細分不明
所在地:兵庫県朝来市和田山町殿字市条寺
緯度経度:35.313444, 134.825861

乳ノ木庵の縁起や由来は、まだまだ謎のままです。