女川町出島ボランティア 〜汗と涙と 歌と笑顔と〜 Ⅲ

「集落は跡形もなく姿を消した」
海にある船が打ち上げられ、丘にあった家々は海の中へと流された。
ショベルカーのところにあった家主は過去に3回の津波に遭遇した経験から、住民をいて早く誘導して高台に逃げた。
島民400人の内犠牲に会ったのは10数人、女川町1万人の内1割の千人が亡くなった。津波に流され助かったのも奇跡に近いという人もいた。

「大地震の後には津波がくる」
夢だけは 壊せなかった 大地震
女川町中学生 木村海斗 さん

「何もかも全てが現実でした」

「だいじょうぶ屋の出島倉庫」
作業を終えて女川のテント村に帰る船の中では島の人たちと雑談をする余裕もできていました。少しの時間の作業でしたが一緒に仕事が出来たことで、長いお付き合いになることをそれぞれが理解できたように感じました。
まだまだ遠い復興への道のりです。

「この湾は養殖イカダでいっぱい」
銀鮭・カキ・ホタテなどの養殖イカダで埋め尽くされていた女川湾も、全てが津波にさらされ、イカダの姿はどこにもいない。
養殖されていた銀鮭が餌を求めて湾内を回遊しているという。
でも、漁をしても販売ルートが復旧していないのです。