皆様へ

 

5月15日にイタリアのEmergencyは18歳の誕生日を迎えました。

USA,UK,日本、スイスに弟や妹(?)分もできて、日々たくましく成長しています。

本文へ補足ですが、設立翌年の1995年からエマージェンシーは地雷撲滅キャンペーンを開始し、メディアに働きかけ、学校や各地で講演会などを開き、地雷についての世論の関心が高まりました。1996年には反地雷の国際的な機運も高まり、イタリア大統領官邸には地雷の撤廃を求めて100万通の葉書が寄せられました。1997年にイタリア国内で地雷の生産、貯蔵、販売及び輸出を禁止する法律が可決されるに至りました。国際的には1997年12月3日にオタワ条約が参加国によって署名され、1999年3月1日から効力発生していますがアメリカ、ロシア、中国など主要な地雷輸出国が条約に参加していません。

エマージェンシージャパンは5月に篠山市立中央図書館でアフガニスタン義肢装具支援の会(本部:奈良)と共同で写真展、映画上映会、活動報告会を開催しました。企画立案及び実現にご尽力下さった方々、来場してくださった皆様、会場と素晴らしい視聴覚室を提供してくださった篠山市に感謝いたします。

私は活動報告会にイタリアからSkype中継で参加する予定でしたが電波の受信状況が悪く、この野心溢れる試みはあっけなく失敗に終わってしまい、深く反省しております。また、この様な機会を持って、たくさんの皆様と意見交換できる日をどこかで企画したいと思う次第です。

田中 佳代子

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Happy Birthday, Emergency

1994年5月15日、ミラノのモンツァ通りにあるTempio d’Oroというレストランに<ちょっと尋常ではない提案がある>ということで友人と友人の友人たちを招待していた。その提案とは戦場で外科医療の経験がある医師や看護師の経験を生かして、政府の理論に振り回されることなく、もっと迅速に動けて、患者の利益だけを考えた新しいグループを形成するというもので、無償で高度な医療を必要としている全ての人に届けたいというごくシンプルな目的であった。「そして−ワインを飲みながらニョッキを食べている彼らに説明した−患者を治療するだけでなく、毎日子供たちを傷つけている地雷の恥ずべき実態を、イタリアはこの恐るべき地雷の世界有数の生産国であることを訴え、すぐにでも地雷の生産を停止させたい。」

友人たちは黙って話を聞いていた。そしてお互いに顔を見合わせた。「僕はできると思う。賛成だ。」と最初の1人が口火を切った。「君たちは頭がどうかしてるよ。」二人目がそう言いながら小切手帳を取り出した。

こうして5月15日、我々はスタート資金を集めた。

あれから18年。この<ちょっと尋常ではない提案>はモンツァ通りを飛び出し、世界の16カ国に到達し、460万人以上の患者を治療した。

我々は毎年<ますます尋常でない目標>を目指して、アフリカ大陸に初めて無償で治療が受けられる心臓外科病院を建設し、アフガニスタンに女性だけが働く産科センターを建設した。それまで女性が家の外で働くなど、考えられなかった地域で。

Emergencyは成人になった。何をお祝いの言葉としよう?1994年に設立されてから、Emergencyが願うのは「自分たちが必要なくなること」。しかし、その日が来るのはまだ遠そうだ。ならば、もっと精力的に活動できるように。私たちを必要としている人々が増え続けているのを日々、目の当たりにしているから。

1994年と変わらず、Emergencyの頼もしい仲間の支援が続くように。仲間が増え続けますように。いつの日かEmergencyが、必要のない日が来ますように。

Happy Birthday, Emregency

ジーノ ストラーダ

特定非営利活動法人EMERGENCY JAPAN-Life Support for Civilian War Victims

HP http://www.emergency-japan.org (こちら
E-mail: info@emergency-japan.org