お疲れ様です。

枕詞、ぬばたまのは黒、たあらちねのは母、あおによしは奈良でしたね。
更に濁音から始まることを避けるために、薔薇をいばら、垂れ桜をしだれ桜とする習慣も
あります。

小さい頃は、なんでこんな面倒くさいきめごとがあるのか不思議でした。
でも今は、日本語ってすごいなと思っています。

謎を解く鍵は、全体感でした。
枕詞を使うことで、目前の出来事に全体感が与えられるのです。
目の前の母親の仕草に垂乳根のが加わることで、母の愛情が多層的に表現されます。
それで、命に対する敬虔な感情が、湧いてくるのです。理屈ではなく。

最近医療データや実験データの改ざんが大きな話題となっていますが、実験に釉やお化粧は禁物です。これは大切な基本です。評価や名声とは比べ物になりません。
こんな本末転倒な仕業が起こる背景に全体感の欠如、早急な判断や成果の督促を有効とする短絡思考があるように思えてなりません。本当はもっと全体感のある落ち着いた基準があるはずです。

確かアメリカのナバホインディアンは一本の木を切るにあたっても、7代後の子孫に悪影響を与えないか酋長と長老が集まって協議すると、どこかの本で読みました。
すごい時間軸ですね。

ではまた

(=^・^=)

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