最近相手の感情を理解し、それなりのレスポンスができるロボットが開発され、近々発売されるとの発表がありました。
 
「感情を理解するロボット? え? そんな発想ありですか?」
私はかなりの違和感をおぼえました。

何故なら、感情とは一つの前提からデジタルにその後の動きが推察できるホモフォニーなものではなく、その人のそれまでの体験や意志、今置かれている複雑な人間関係等が絡み合って生まれるポリフォニーな情念だからです。
そのうえ、そのときの精神状態や体調等で反応がコロコロ変わる。まさしくカオスです。

この非論理的で理解不能な情念が底で蠢いているという大切な要素を疎かに扱ってはいないかという違和感です。理解しない(出来ない)なということが持つ価値は、理解する(出来る)が持つ価値より数倍深いのです。

「本人さえ予期せぬドラマ」はそこに生まれます。

ですから私の個人的な提案ですが、どうせ開発するなら、「相手の感情を理解しないロボット」を開発しましょう。その方がよっぽど科学的ですし、実際に近いと思います。

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