迷う時とは心の中にYESとNOが同時存在し、その割合がちょうど50:50の時ですから、数学的に考えれば、迷う確率は全体の100分の1です。ですから、ほとんどの場合迷わずに進んでいける筈ですが、不思議な事に、人間はいつも迷ってばかり。
迷いとは何だろう? 私なりに考えてみました。
今は暑苦しい季節ではありますが、少しの間私につきあって下さい。

で、言葉を考える時の私のいつものパターン、
1.複式簿記法(Aという行為はBを得、同時にCを失う)
2.対偶法(命題の対偶も同時に正しい場合に限り、命題は正しい)
をつかって、迷うについて考えてみました。

まずは、複式簿記法
1.人間は迷うことによって何を得、何を失うか 
(B)得るもの:(……何だろう?)
(C)失うもの:(タイミング、時間…etc)

迷うことで得るものってあるのだろうか。かなり考えてから巧遅(拙速の反対語)という言葉がうかびましたが、巧遅は良い意味で使われているわけではありません。 謙虚も考えましたが、迷いが全部謙虚さから生まれるわけでは無いですし、謙虚さを得るという言葉もなにかしっくりこない。 結局、一人で悩むってあまり意味がないのではないか。悩んでいる間は誰かに相談したい気持ちが残っているってこと。強いて言えばそこが価値かもしれません。

 次に、対偶法
2.命題 「迷うことは意味がある」はその対偶も正しいか?
 対偶: 意味のないことは迷わないこと
 この対偶は何を言いたいのかよくわからない。ただ、今回の命題はいつでも正しいとは限らないことは解りました。

でも、1法も2法も人間が迷ってばかりの不思議に答えてはくれませんでした。

こんな時私は第3の方法(漢字で考える)を使います。
a.漢字を部首に分けて考えてみるとか、
b.迷うと似て非なる漢字は他にないかとか
そんなことを考えて、何かを思いつくまで遊ぶのです。
「迷う」ですぐに浮かぶのは、「悩む」です。この二つの違いは何か?

「迷う」とは目的を見失うこと、或は目的が多数ありすぎて選べない状況のこと、決断が必要な時に
決断の根拠を持たない状態
「悩む」とは目的も決断する根拠も大筋は見えているが、未解決部分があり、折り合いを含めた
よりよい案を思考する状態

迷いとは何もわからない状況での認識のトリガーで、悩みとは状況が少しわかった後でのバランス構築への努力です。両方必要なものです。
迷いや悩みが辛い時もありますが、両方とも生きている証と思えばいいのかとおもいます。
お熱い中、貴重なお時間を割いてお付き合い頂きありがとうございました。

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