音を観る、香を聞く(単数と複数に関して)

観音と聞香とは、考えるとちょっと変な言葉ですね。
普通、音は聞くもの、香は嗅ぐものなのに。
音を観ろ、(see the sound)、香を聞け(ask the aroma)と言っているのです。

無理無理、無茶無茶。

でも、
音を観分ける(see the sounds)香を聞き分ける(ask the aromas)と複数で書くと、何となくと言うか、何処となくというか、おぼろげにというか、解るような気がしてきます。
Soundsを 音の集まりではなく音の作用・機能、aromasは複数の香りではなく、香りの持つ精神作用に注目して考えているのではないか。
ですから物理的な刺激としてではなく、五感全てを使って音や香りの作用を感じる姿勢が必要となって来るのです。単数は具体、複数は抽象ともいえるのかもしれません。

英語でも複数にすると意味を二つ持つようになる単語があります。例えば、
 Antenna Antennas(複数のアンテナ) と Antennae(触覚)
 Genius Geniuses(複数の天才) と Genii(守り神)

この場合、二つの複数があるからこそ、この単語の持つ本来の意味が見えてきます。

更に人間に関係する単語の複数形はほとんどSを使いません。これは英米人が個人としての人間とその集団は別物だと考えているからでしょう。 
Person は People
Child は Children
Man & Woman は Men & Women と言うような複数になっています。
確かに、一人の時の自分と集団(例えば家族、仲間、組織)の一員としての自分は機能も役割も違うものに思えます。

日本語には英語のような単数複数の厳密な使い分けはありませんし、フランス語やドイツ語のように男性と女性とで使い分けなければならない動詞や名詞はありませんが、独自の決まり事として枕詞や季語があります。自然を神とする日本人らしいと思います。

観音の例としては個人的には古池に飛び込む蛙の蛙は単数、岩にしみいる蝉の声の蝉は複数(無数)だと思っています。

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