人は相手が前向きで意欲のある場合、それを感じとり、相手の心との触れあいを大切にします。
その場合、行為そのものや、その行動の結果はさして重要ではありません。
逆に相手が後向きであれば、たとえその行動の結果がよくても、変なわだかまりが残ってしまいます。
こんな場合は、相手の意欲や、判断力をその場だけからでなく複層的(ポリフォニー)に見ているのです。この様な複層的な評価は必要だと思います。
ところが、人は相手に対する好き嫌いで態度を決める習性も持っています。これは複層的な評価ではありますが、多くの場合原因は我儘です。相手も納得しませんし、自分も後悔します。
例えば、
相手がAならば、笑いながらバカヤロウ!と言いあえるのに、相手がBだと、握手をしていても
心から笑えない。
相手がAならば、信じられる、助け合える、尽くす。 それも、どうしてそこまでと思う程に
相手がBだと、疑う、そしる、足を引っ張る。 それも、たかがそんなことでと解っている
で、今日の私は何を言いたいのか。
「いつでも複層的に判断できるように、精神修行しておきましょう」と言いたいのでしょうか
違います
。
「すべての人は独自のDNAを持って生まれてくるので、歯車合う合わないはある。感情を消し去ることはできない。しかし、人格は社会でもまれることで形成される。できるだけ正直にいきて、出来るだけ多くの人にもまれるべきだ」
今日の私はこんなことが言いたかったんです。
(=^・^=)
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