(写真は市内の高齢者介護施設・川西市清和台東2丁目)—>
2011年12月24日
『人生のエンディング』(その1)
「生前準備 私の人生どう閉じる」
今年の2月下旬、母親が89歳で亡くなった。認知症の母は約6年間、川西市内の介護施設で寝たきりにもならず暮らすことができた。看護師や職員の人たち、そして往診の医師には随分とお世話になった。延命治療はせず、点滴を絶った後は枯れていくように、安らかな死であった。孫たちも温もりが消えていく母親の手を握って何を感じていただろう。
看護師と職員が母親の身体をていねいに拭いてくれた。寝台車が玄関に到着したとの連絡で、お世話になった人たちにお礼を述べ、部屋を出た。部屋に残された遺品の整理と持ち帰りは、葬儀が終わってからでよいとのことだった。寝台車が施設を離れる際、お世話になった人たちが搬送を玄関で見送ってくれた。質の高い介護でお世話して下さった施設の人たちに感謝している。
介護施設から我が家に戻ってくると、すでに通夜の準備が始まっていた。葬儀社のスタッフがしきりに玄関を出入りしていた。母親の妹二人も奈良から駆けつけてくれた。通夜の準備が終わった頃、寺院の住職がやってきた。この時が、住職との初対面。やがて、身内だけの通夜が始まった。孫たちも正座して、神妙に読経を聞いていた。
ところで、母親が亡くなる1ヵ月半前、介護施設の管理者から連絡があった。「呼吸をする時、少し苦しそうです。医師とも話し合ったが、最終的には長男のあなたが決めて下さい」。終末医療の相談であった。その後直ぐに施設を訪ねると、医師と管理者が母親の部屋で待っていた。
「これからは点滴だけにして、延命治療は受けさせたくない。身体に負担をかけず、眠るような状態で最期を迎えさせてやりたい。救急車は呼ばず、この施設でみとりたい。緊急の場合は深夜でもかまわないから、いつでも連絡してほしい」。医師と管理者にそうお願いした。
施設を出てからは自宅に戻らず、市内の葬儀社に向かったが、その時はかなり慌てていたように思う。母親の死に備えて、葬儀の準備をまったくしていなかった。向かった先の葬儀社については、かつて知人から、「費用の説明も分かりやすく、納得して支払った」、と聞いていた。ひょっとしたら母親の葬儀も任せられるかも。葬儀社を選ぶのも、ただそれだけの理由であった。
葬儀社に着くと応接室に案内された。介護施設で世話になっている母親の葬儀ということで話を切り出した。葬儀の方法は近親者だけの家族葬。通夜は自宅で営み、告別式は葬儀社のホールで行いたい。告別式は、棺の周りを花で飾り、身内はその周りを囲むように坐るなど、こちらの要望を伝えた。
(写真は葬儀社の外観全景・川西市多田桜木1丁目)—–>
翌日、葬儀社の担当者が自宅にやって来た。その日はバレンタインデー。雪が降る寒い夕刻だった。葬儀社の会員になる手続きを終えると、さっそく祭壇の設営をどうするか、そして葬儀費用についての説明を受けた。葬儀には幾つかのプランがあり、予算に応じて選択できる。費用は会員価格が適用され、一般価格より安くなる仕組みだ。
費用の概要は、先ず祭壇の設営や寝台車などの基本費用、次に会館使用料、そして葬儀当日の料理飲食代などに分かれる。見積書には、項目別に費用の明細が記載されている。いくつかの要望を追加して、葬儀一式の費用が決まる。「費用は合計でこれだけです。これ以上は頂戴いたしません」。費用の説明に納得し、安心して葬儀を任せることにした。さらに、葬儀で世話になる寺院も紹介してもらった。
葬儀も無事終わり、満中陰の法要を終えた5月中旬、納骨のため大和盆地の南端にある墓地に行った。当日は、寺院の住職も同行してくれた。早朝、寺の住職を迎えに行くと、早朝にもかかわらず、法衣をまとった住職が山門の前で待っていた。挨拶もそこそこに、阪神高速池田線、南阪奈道路を経由して田舎の墓地に向かった。
墓を拭き、花を供え、遺骨を墓の下に納めると、二人だけの法要が始まった。目を閉じ、住職の読経を聞いていると、いろんな思いが込み上げてくる。いずれは私もここに入るのか。妻は一緒に入ってくれるのか。妻と私、どちらが先に入るのか。二人がこの墓に入った後、他家に嫁いだ娘たちはこんな田舎まで来てくれるのか。納骨の法要が終わるまでこんなことを考えていた。
この頃、仏壇に向かって手を合わせていると、ふと思うことがあるある。私の人生、どう閉じるのか。排泄や食事、入浴など、自分の意思でできなくなる時は必ずやってくる。介護が必要になったら、どこで介護を受けたいか。自宅か、あるいは母親のように介護施設で受けるのか。
延命治療は受けたくないが、その時の判断は家族に任せるしかない。さらに、葬式の方法や墓のこと。そして、私が受ける介護のこと。決めなければならないことがいろいろある。しかし、妻や娘たちとはまだ話し合っていない。まだいいかと焦ってはいないが、今漠然とした不安はある。このように人生の最期を思うと、これからどう生きるかを考える。(了)