「ひそかなブーム、宿坊の旅」 何もサービスがない それがサービスです

(写真は圓流院天井の妖怪画を見学する参拝客・鳥取県大山町)
2012年7月10日
「ひそかなブーム、宿坊の旅」
<何もサービスがない。それがサービスです>

 眠気と惰気をさます一振りでふと我に返る。1メートルあまりのカシの棒「警策」が肩甲骨のあたりを4度打つ。国立公園大山の麓。天台宗別格本山、大山寺の塔頭・圓流院(えんりゅういん)での座禅体験。天井には、地元境港市出身の水木しげる氏作の妖怪画108枚が飾られている。座禅が始まる前、圓流院の住職・大館宏雄さんは、「一切の煩悩を断ち、宇宙の塵になれ」と説いた。

 午前6時30分。本尊の地蔵菩薩に向かって足を組む。背筋を伸ばしてへその下に力を入れ、上半身の力を抜く。余計な妄想がわかないよう目は閉じず、半眼で視線を板敷きに落とす。そうして半時間、ゆっくり呼吸し、動じず無念無想の境地を目指す。

 眠気や雑念など、心に揺らぎが生じると、警策が振り下ろされる。本物の修行では内出血や皮がむけることもあるが、初心者への警策は、優しく禅の世界にいざなう。やがて住職の合図で交差させた足を解き、およそ30分の座禅体験は終わる。仰向けになって天井画を見る人、隣の人と談笑する人。参加者それぞれにいろんな思いが去来したはずだ。

 さて、座禅や写経などの修行や、勤行への参加などが体験できる場として宿坊がある。寺社の境内などに設けられた宿泊施設で、善光寺参りや伊勢参りが流行した江戸時代ごろ、参拝者向けに広まったとされる。今その宿坊に、せわしげな日常を離れ、新鮮な空気に身を置くことでモヤモヤした心を吹っ切り、自分をリセットしたいたいと願う人たちがやって来る。

 宿坊もいろいろ。羽黒山の麓にあり、地元では花の寺として知られている玉川寺(山形県鶴岡市)。標高880メートルの大自然の中、山々の絶景と向き合って座禅ができる大陽寺(埼玉県秩父市)。真言密教の瞑想法「阿息観」の体験や、朝の護摩祈祷が見られる惠光院(和歌山県高野町)。そして宿坊とはいえ、露天風呂付き客室もある竹林院(奈良県吉野町)、などなど。

 ところで、宿坊の旅は本格的な精進料理や、お寺を囲む四季折々の自然も大きな魅力だが、俗世間から遠く離れ、いつもとは異なる時間の中で自分と向き合い、自らの人生で本当に大切なモノは何かを考えることができる。そこで、究極の自然体で心をほぐし、自分を見つめ直す新しい旅のスタイルとして今注目されている宿坊の旅を次に紹介させていただきたい。

(写真は標高880mの大自然の中にある大陽寺・埼玉県秩父市)
『宿坊 非日常の目覚め』
<おいしい精進料理と密教の瞑想法体験>
2012年7月1日付け朝日新聞より引用

 「宿坊」への旅が、ひそかなブームになっている。精進料理や修業体験、庭園や文化財の鑑賞など、楽しみはさまざま。夏休みに一度訪ねてみませんか。

◆門限夜9時
 「何もサービスがない。それがサービスです」。臨済宗妙心寺派大本山、妙心寺の塔頭(たっちゅう)・東林院(とうりんいん)(京都市右京区)。西川玄房住職(73)はほほえんだ。大阪万博のあった1970年ごろ、万博目当ての観光客が京都にも押し寄せた。市に頼まれて寺を宿泊施設として開放したのが、同院の宿坊の始まりという。

 6〜8畳の部屋が10室。テレビはない。備品は石鹸のみ。風呂は男女交代制で、門限は午後9時だ。この寺に年間約千人の宿泊客が訪れる。精進料理の本を何冊も出している西川住職が作る食事が目当ての人が多い。午後6時。朱塗りの膳で夕食が出た。

 食べ物への感謝の気持ちを表す「食事五観文(ごかんもん)」を書いた紙が添えてある。昆布でとった薄味のだしが野菜の風味をひきたてる。友達2人と泊まっていた大阪府交野市の主婦(62)は、「『ご飯が多過ぎたら、食べる前におひつに戻してください』と言われ、新鮮でした。もったいないという言葉を思い出しました」。

◆日帰りOK
 写経、朝のお勤め(勤行)など、様々な非日常体験も、宿坊ならではの楽しみだ。和歌山・高野山には約50ヵ所の宿坊がある。一乗院は平安時代に創建された寺院で、密教の瞑想法「阿(あ)息(そく)観(かん)」などの修行体験ができる。高野山温泉福智院は天然温泉つきだ。サウナを備え、浴衣、バスタオル、ドライヤーもある。

 日帰りの観光客に楽しんでもらう試みも。高野山観光協会は2年前から、宿坊で精進料理の昼食をとり、入浴できる「日帰り入浴プラン」(7月20日まで)を実施している。山を歩き、体を休めたい人たちに人気だという。

 僧侶の説明つきで、日本の文化を堪能できる所もある。京都市東山区の「智積院(ちしゃくいん)会館」だ。宿泊者は、江戸時代末期の茶人、小堀遠州が造った庭園を眺めながらお茶と菓子を味わい、安土桃山時代の絵師、長谷川等伯一門の障壁画(国宝)を収蔵庫で見学できる。栃木県の主婦(67)は、「震災後、元気が出ない状態が続いていたが、庭園や障壁画の美しさに励まされました」と話した。

 女性専用の宿坊もある。京都市右京区の鹿(ろく)王院(おういん)だ。無常の象徴として平家物語にうたわれた沙羅(さら)双樹(そうじゅ)の花が10日ごろまで咲き、女性客の目を楽しませてくれる。

◆ネット予約
 ホームページで宿坊の口コミ情報を公開している「宿坊研究会」代表、堀内克彦さん(34)は、「宿坊の良さは普段と違うお寺の表情が見られること。早朝や夜の風景は新鮮で、気持ちが休まります」と話す。

 宿泊は電話予約が一般的だが、楽天トラベル、じゃらんネットなど、インターネットを利用する手もある。JTBもホームページから予約できる。「節電などエコへの関心から、宿坊が注目されるのではと期待しています」とJTB西日本広報室の担当者はいう。(田中京子)

(写真は惠光院の護摩祈祷の様子・和歌山県高野町)
<各宿坊の案内>
●東林院(京都市右京区花園妙心寺山内)
 1泊2食つき6300円、1泊朝食つき5250円
 お勤め無し

●高野山温泉福智院(和歌山県高野町高野山657)
 1泊2食つき9450円から
 お勤めは自由参加

●智積院会館(京都市東山区東大路七条下ル東瓦町964)
 1泊朝食つき6500円(夕食は別料金、1500円、3千円)
 お勤めは原則参加

●鹿王院(京都市右京区嵯峨北堀町24)
 1泊朝食つき4500円
 宿泊は女性のみ。拝観は男性も可
 お勤めは原則参加

●一乗院(和歌山県高野町高野山606)
 1泊2食つき1万円から
 写経や密教の瞑想法「阿息観」が体験できる
 お勤めは自由参加
(了)