「何とかならぬか格差社会」 <団塊世代はどう動く>

(写真は京都・大本山東福寺塔頭勝林寺の座禅の間)
2012年8月28日
「何とかならぬか格差社会」
<団塊世代はどう動く>

 どうしてこんな世の中になったのか。暗い話が多過ぎて、新聞を読むのも億劫になる。ヒルズ族に代表される富裕層の豪奢な生活が話題になる一方で、真面目に働いても貧困にあえぐワーキングプアの存在が社会問題になっている。長引く不況と格差社会。いずれはやって来る人生の終末を前にして、このような日本になろうとは、まったく予想もしていなかった。

 私たち団塊世代は、昭和30年代後半からの高度経済成長とともに育ってきた。テレビや洗濯機、冷蔵庫が家庭に普及し、それまでは富裕層だけの持ち物であった自家用車やクーラー、カラーテレビにも手が届くようになった。さらに、それまでは憧れの的でしかなかったマイホームも長期のローンで購入できるようになり、物質的な豊かさを享受した。その結果、一億総中流と考える国民的意識が広まった。

 ところが、バブル経済の崩壊とリーマンショックの後は、グローバリゼーションの名の下に能力主義や成果主義が多くの企業で導入され、雇用の根幹である年功序列の廃止や終身雇用が崩壊した。代わって新規採用の抑制と人員削減、そして非正規雇用の割合が急速に増大した。そのため、勤労という個人の努力とは無関係に、職業、教育、所得において格差が急速に拡大した。

 現在(いま)もなお、サービス・製造業を中心に、正社員の削減と現業員の非正規雇用への切り替えが進行する。就職難にあえぐ若年層、まじめに働きながらも安定した職につけず、貧困に苦しむ人たちが、自分たちよりさらに下の貧困層に不満や憎悪を向けるモラルパニックが格差社会の深刻さを示す。

 ところで、第3次産業が中心の社会へと発展すると、第2次産業のような大幅な生産性の向上は期待できなくなり、給料も上がりにくくなる。一方、第2次産業の労働生産性がさらに上がり、欧米の先進国がそうであったように日本でも、企業側はそれまで働いていた労働人口を減らそうとする。

 そんな社会で問題になってくるのが、持てる人とそうでない人との間に生まれるさまざまな格差。経済評論家の勝間和代さんは、そんな格差をなくすため、教育の重要性を説く。そこで、朝日新聞に連載された同氏の連載記事、「人生を変える『法則』」のうち、格差社会に関する記事を次に紹介させていただきたい。

(写真は静岡・秋葉山総本殿可睡齋での座禅の様子)

勝間和代の<人生を変える『法則』>
所得、雇用、税金—どれかが犠牲になる
2010年7月17日付け朝日新聞より引用

 今回は、17世紀の英国の経済学者ウィリアム・ペティの『政治算術』の内容から、20世紀初頭の同国の経済学者コーリン・クラークが「ペティの法則」として提示した法則です。その内容は、社会の発展に伴い、第1次産業から第2次産業、そして第3次産業へと、就業人口と国民所得の両方において、それぞれの産業の占める比率の重点がシフトしていくという法則です。「経済発展のはしご」とも呼ばれています。

 これは経験則なのですが、日本を含めた多くの国で、ほぼぴったりと当てはまっています。まず、国家の初期段階では、人口を維持・増加させるのに必要な食糧を得るには、まだまだ生産性が低かったため、ほとんどの人が第1次産業に従事しなければなりませんでした。

 その後、文明が発達してくると、農地改良や農具の発達などによって生産性が上がるにつれて、多くの人が第1次産業に集中せずともよくなり、第2次産業への人口移動が始まります。ところが、第2次産業の増加は一定時点で収束し、停滞から減速へ転じます。労働生産性が上がることで多くの人口を必要としなくなるためで、第3次産業へ転換していきます。

 第3次産業が中心となる時代を「脱工業化社会」、「サービス経済化」などと呼びます。この時代の問題点は、第2次産業のように大幅に生産性が向上せず、雇用者の給料が上がりにくくなるため、それまでの経済成長の時代には同時に満たすことができた「所得の平等」、「雇用の拡大」、「税負担の抑制」の三つのうち、どれかを犠牲にしなければならなくなるのです。

 北欧などは税負担の抑制を、アメリカは所得の平等を、ドイツ、フランスなどは雇用の拡大を犠牲にしました。今、日本は何をあきらめるのか、国民の選択が求められています。また、第3次産業が中心の社会では、知識階級といわれる高度な専門知識や技術を持った人と、そうでない人との格差が広がる傾向があるため、教育の重要性が一段と大きくなります。

 産業の大きな流れを知ることで、なぜ今の日本で財政破綻の可能性や格差社会が問題なのか、自分はどう行動すればよいのか、より俯瞰した視点から考えられるようになるでしょう。(了)