ウキです。
ひさしぶりにピアサポに参加しました。スタッフ入れて十人くらい。

混みこみな感じもあって、途中で退室された方もいましたが、わりとよい感じにみんなと話しができました。

いつもおおきな模造紙に意見を書きつけたりしていましたが、それはなし。素手で(笑)おもに雑談をしました。

ちょっと深い雑談は「自殺はなぜするか」でした。先日亡くなったET—KINGのボーカルさんの話題がでたのです。
Nさんは宗教的だけど、もっとくるしむことになるのではないか、ともいいます。
でもほんとうに自殺を決行するときは果たしてそれがブレーキになるだろうか、ならないし考える余裕なんてないだろうといいあいました。
わたしも以前読んだSF小説で、自殺した主人公が生き返るのを読んだのですが、妻子もいて仕事もやりがいがあって順調なのに、会社でちょっとへんなひとにからまれつづけます。でもそれがきっかけかもわからないまま、できごころというかほんとうに疲れたとき、つい飛びおり自殺をしてしまったのです。

わたしは死ぬと決めてしまったら、いくら恵まれた環境でもひきとめられないのではないか、と思うようになりました。

それほど死の欲求(タナトス、というのでしょうか、むずかしい専門用語で)は手ごわく、圧倒的なものではないか。
ひとは必ず死ぬので。タナトスとはなんなのだろうか、正体はわかりません。(なにかが亢進してる、という気はします)

自死は自らの意志で死ねる、選択してると思っていましたが、ちょっとちがうような気もしました。

いつも自分の内側にコントロールのむずかしい、波というか、自然とよぶべき意志ではどうすることのできない部分がかならずあって、そことのつきあい方。
内側の自然からの逆襲のような気がするのです。
自死願望というのは……。
そんなうまくつきあえなくてもいいから、ときどきいたわり、休み、よく寝て、ごろごろもして、ぼーっとする。
動くときは動く。(休んでこそ動ける)無理をあまりしない。私の場合、マイナス思考がはじまったら、いつもよりウォーキング時間を伸ばして、

疲れるとそのときは頭が働かなくなる(笑)からだをうまく使えば、逆襲は避けられるのではないか。
とはいえ、こころはとてもとても奥深いです。
わたしがいきなり自死してもやっぱり仕方ないのかもしれないな、と思うときもあります。

Hさんの友人、Iさんは自死をしたことは責められないとも言っていらして、わたしもそうだと思います。
自死願望が常にあるひとが「自死はぜったいしない」と強い意志でとめているというのもエネルギーをかなり消耗しているので、ほんと、もともと思わないのがいちばんで、根っこの自死願望に働きかけれたらいいのですが、なんかすごいおそろしいもののような気もするし^_^;たぶんそうとう時間がかかるので、結局、映画を観たり本を読んだり、ちょっとでも興味のもてることをして時間稼ぎして自死はしないと意志をもちつづける工夫をするのがベターかもしれません。