皆さまこんにちは。ころころ通信委員のムニュです。
コロナと共に年が明けました。
今年は一段と生きること、食べる、着る、暮らすことが身に染みてくるような気がします。
変わらず明るくなる陽の光と植物の芽吹きに、今年の大きな収穫を期待したいです。
さて、古くから農民を指す言葉に「百姓」(ひゃくしょう)という言葉がありますが、そのあてられた字には、「いろいろの姓(かばね)を持つ公民の意」(デジタル大辞泉)という意味があるそうですが、これは、いろいろな職業についている一般の人民、庶民、という意味以外にも、以前何かの本で、「ひとりの人間が百の仕事を受け持つほどいろいろな役割、「姓」を持っている」という意味もあると読んだことがあります。
お百姓さんが生きるにあたって、農業をしたり、お商売をしたり、何かを作ったり、家事をしたり、子育てをしたりと、実にいろいろな日ごろの仕事や役割をこなされていたことだと思います。
現代においても、生きるにあたっての直接の仕事、その名前において、これは「自分だ」と言えるものはあるかも知れませんが、それ以外のかなりの時間を「名もない」仕事、役割に従事していることが多いかと思います。
そしてその百の「姓」の中の、忘れてしまいそうな「私、自分自身」。
目まぐるしい忙しい毎日で、「わたし」に戻れる時間に付ける名前は、人それぞれなのかもしれません。
それらもすべて従えて、「ひとり」の人ととして生きる。その激動に今日ものまれようと思います。
ムニュ